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2.遺伝学と家畜育種学

これまでの歴史的展開


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遺伝学の基礎を見出したグレゴリー・メンデル

遺伝学の基礎を見出したグレゴリー・メンデル

動物遺伝学は動物における遺伝の原理を研究する領域であり,家畜育種学は動物の遺伝の原理を応用して,家畜の改良を図る研究領域である。

これらの用語はしばしば混同もされ,実際の改良のためにはお互いに関連し合っている分野である。

動物遺伝学,すなわち家畜育種学には主に3つの研究分野がある。

  • メンデル遺伝学
  • 集団遺伝学
  • 量的遺伝学


2-1.メンデル遺伝学

ある世代から次の世代へ遺伝子が伝達される様式がメンデル遺伝学の原理で明らかにされている。この遺伝の法則は1865年にオーストリアの僧侶メンデル Gregor Mendel がエンドウ豆を用いた実験の結果から導き出した。

1900年にオランダのド・フリース H.M. De Vries はトウモロコシの研究から,ドイツのコレンス C. Correns とオーストリアのチェルマック E. Tschermak はエンドウの研究から同じ結論に到達し,メンデルの業績を再発見することになった。

1900年にオランダのド・フリース H.M. De Vries はトウモロコシの研究から,ドイツのコレンス C. Correns とオーストリアのチェルマック E. Tschermak はエンドウの研究から同じ結論に到達し,メンデルの業績を再発見することになった。

このメンデルの業績は永らく埋もれていたが,1900年にオランダのド・フリース H.M. De Vries はトウモロコシの研究から,ドイツのコレンス C. Correns とオーストリアのチェルマック E. Tschermak はエンドウの研究から同じ結論に到達し,メンデルの業績を再発見することになった。この年をふつう遺伝学が確立した年とする。

後年,ベートソン William Bateson (1906)はメンデルの1866年の論文の結果を整理し,第1(F1の均一性または優劣性),第2(分離)および第3(独立組合せ)の3つの法則にとりまとめた。これがいわゆる“メンデルの遺伝の法則”である。

さらに,ベートソンが

  • genetics 遺伝学
  • homozygote ホモ接合体
  • heterozygote ヘテロ接合体
  • allelomorph  対立形質

などの新しい用語を作り出した。

同じ頃,植物学者であるヨハンセン Wilhelm Ludwig Johannsen が

  • gene 遺伝子
  • genotype 遺伝子型
  • phenotype  表現型

などの概念を提唱し,これらの用語は現在一般に使用されている。



2-2.集団遺伝学

家畜の改良は必ずしもメンデル遺伝学のみで説明できるわけではないが,メンデルの遺伝法則は集団遺伝学と量的遺伝学の基本となっている。言い換えると,集団遺伝学は集団内におけるメンデル遺伝学である。

集団遺伝学の基礎となるハーディ-ワインベルグの法則は,1908年イギリスの数学者G.H. ハーディ G.H. Hardyとドイツの内科医W. ワインベルグ W. Weinbergによって確立された。


集団遺伝学では,少数の遺伝子が関与する質的形質の遺伝を通常取り扱うので,集団内でなぜ望ましい形質(あるいは望ましくない形質)が固定されたり,あるいは変異し続けたりするのかを理解するのに重要な示唆を与える。

さらに集団遺伝学の原理は,集団内において望ましい遺伝子の頻度を増大させる,あるいは有害な遺伝子を排除する育種戦略の基本となる。


2-3.量的遺伝学

量的遺伝はここであげた3つのうちでも概念的に最も難しい分野である。

というのは,個体における遺伝子の影響は見て測定することは不可能であり,また乳量成長率,または一腹子数などの形質の発現には多くの遺伝子が関与しているためである。したがって,この様な形質の選抜理論はさらに複雑となる。

つまり,環境要因(非遺伝的な要因)が,これらの形質の発現に関与する多くの遺伝子の効果に影響を及ぼすためである。

これら3分野のうちでも量的遺伝学が最も実用的な分野となり,量的形質の選抜に対する反応は単純な遺伝形質の選抜に比べて経済的にも重要である。

量的形質の選抜理論は難しいと思われがちだが,その元の理論はメンデル遺伝学と集団遺伝学である。これらの遺伝学の原理が比較的簡単な統計学の概念と結びつけられ,量的遺伝学の基礎がつくられた。


この分野の先駆者がイギリスのR.A. フィッシャー R.A.Fisherとアメリカ合衆国のS. ライト Sewall Wright であり,さらにイギリスの生物統計学者 F. ゴールトンFrancis GaltonやK. ピアソン Karl Pearsonなどの功績が挙げられる。

メンデルの法則の再発見の前にも,ゴールトンとピアソンが回帰相関という統計学手法を用いて動物個体とその子孫との類似性が世代の進行とともに1/2ずつ低下するという原理を見出している。たとえば,実測した記録を用いて祖父母と孫の記録との相関が両親と子供の記録との相関が1/2になることを明らかにしている。

しばらくの間,メンデル遺伝学と生物統計学の間にはギャップがあった。 しかし,フィッシャーとライトがメンデル遺伝学で扱う頻度が生物統計学の相関関係の基本であったことを証明し,これらの学問領域の橋渡しをした。


2-4.家畜育種の歴史

家畜育種学の歴史は,メンデルやゴールトン以前にさかのぼる。

すなわち,長年の経験で得られたやり方が望ましいように動物をうまく変化させてきた。 そして,おそらく野生動物の家畜化という歴史的事実以来長い年月の中で行われてきたことだろう。

ある場合は,偶然に家畜化されたとも考えられるが,多くの場合には,より扱いやすく従順な動物を経験論的に選抜する(育種学的なバックグラウンドがなかったが,ある意味で意識的にという意味)ことが行われてきたと思われる。

 

  • 家畜化の初期には『行動に関わる形質』が対象とされただろう。この形質は多くの遺伝子が関与する量的形質である。
    人類と密接な関係を持った最初の動物はイヌであった。イヌは最初に家畜化された動物で,12,000年前にさかのぼると考えられている。
    (さらにさかのぼるとする考えもある。30,000年以上前のシリアのパルミラの近くのドゥアラ洞窟の遺跡で家畜化されたイヌの骨が発掘されている。)
  • イヌ以外の家畜における選抜は,まず環境に適応するようにして徐々に能力を高めるように進行していったものと考えられる。
    能力を向上させるための選抜として最もよい例は,いろいろなタイプがあるウマであろう。 ウマは牽引用と人の輸送のために改良され,いろいろな用途に適したウマの品種が作り出された。

選抜によって生じた変化の例

選抜の影響は現代の牽引用馬を見ると明白である。ペルシロン,ベルジャン,クライズデールは北ヨーロッパの 土着馬の後継である。シェットランドポニーも同様で,小格動物として作り出され,後にイギリスの炭坑で利用されるようになった。〔ウマの品種を参照〕

中東のウマは現代のアラブなどのウマの祖先であり,少なくとも 5,500 年さかのぼる。これらのウマは持久力を持ち,かつ速度を求められ交配されてきた。

この様にいろいろな用途や異なった能力を発揮するための選抜は,初歩的な個体識別と能力を記録することによって数百年の中で達成されてきたと思われる。

今日,家畜の能力の記録と信頼できる個体識別法は量的形質の選抜を進めるための基本となっている。記録されることにより,後代検定(後代,つまり子孫の記録を元に選抜すること)や能力検定(自身の記録を元に選抜すること)のような最適な育種戦略が計画できる。

Bakewell

18世紀のイギリスの育種家ロバート・ベイクウェル Robert Bakewell は『家畜育種の父』として知られている。育種家としての彼の成功は,記録を残して活用した彼の注意力と,望ましい形質を固定するために近親交配を採用したことである。

彼はウマの品種シャイア,肉用牛の品種ロングホーン,ヒツジの品種レスターを作出している。

ベイクウェルが作出した品種の写真

“この親にしてこの子あり”という諺は「親が優れているからこそ,このような立派な子供が育つ」という意味だが,家畜においても優秀な両親は低能力個体に比べ優秀な子畜を生産することが多い。このことに,ベイクウェルが250年程前に気づいていたのである。

Jay Laurence Lush(1896年1月3日 - 1982年5月22日) アメリカ合衆国の農学者、生物学者。動物遺伝学の草分けである。家畜育種に重要な貢献を残し、「近代育種学の父」と呼ばれることがある。

Jay Laurence Lush(1896年1月3日 – 1982年5月22日)
アメリカ合衆国の農学者、生物学者。動物遺伝学の草分けである。家畜育種に重要な貢献を残し、「近代育種学の父」と呼ばれることがある。

しかし,現代の家畜育種の父とよばれているアイオワ州立大学のJ. ラッシュ Jay Lush により,上記の考え方が若干修正されている。

すなわち,”子は必ずしも親に似ず”ということもあり得るのである。これは,優秀な両親の子供の中にも,能力が劣っている場合があるという意味で,交配の成功には運も働くということである。すなわち,最良に見える家畜は必ずしも遺伝的に最良であると限らないことを指摘している。

家畜育種の目標は,遺伝的に優秀な家畜を選抜する際の正確度を高めるために,それらに関連する記録を最大限に利用することである。


家畜の登録と近代家畜育種戦略

家系の情報と能力の記録が遺伝的評価に重要である。

世界で最初の家畜の記録,すなわち家畜登録はイギリスにおいてサラブレットで開始された。1791年(An Introduction to the General Stud Book)に記録が始まり,レースの記録保持馬の家系が記録されている。

しかし,1822年のウシでの初の登録簿であるショートホーンのthe Coates herdbook などのほとんどの登録簿には,家系の情報のみ,すなわち祖先の名号だけで能力については記録されていなかった。

これらの登録簿には,両親が登録されている子畜だけが登録できるようになり,これらを純粋種と呼ぶようになった。残念ながら,その後もしばらくは登録が純粋種に限定された後も家畜の能力が登録の評価として採用されていなかった。

個体識別と成績の記録に関する際立った例は,1906年にミシガン州で,1908年にニューヨーク州で始められた Dairy Herd Improvement (DHI) 計画である。

個体記録はもともと牛群管理のために行われたが,乳用種雄牛を遺伝的に評価する最新の手法に利用できるデータとして活用できた。

産乳量の変化最も優秀な種畜は人工授精によって毎年数千頭もの子畜を生産できるようになった。

DHI の記録とコンピュータ処理が組み合わされ,人工授精による優秀な種畜の遺伝子が広く利用されることによって,家畜の育種の一大業績が達成された。

遺伝評価のための個体記録と優良種雄牛の利点を最大限に引き出す人工授精の活用によって,遺伝的改良度を高める育種計画を開発と,遺伝的利点をより正確に予測できる手法の開発につながった。

1958年から1980年にかけて,合衆国北東部において泌乳期あたりの平均乳量が12,500ポンド(5,600 kg)から17,500ポンド(7,800 kg)に増加した。増加した量のうち,約40%が遺伝的改良量の増加によるものであった(右図)。

1930年代に ライトとラッシュの理論を用いて,家畜の能力を評価する手法が確立された。すなわち育種価である。

Charles Roy Henderson(1911年4月1日 - 1989年3月14日) アメリカ合衆国の統計学者であり、家畜の遺伝評価における定量的方法の応用において、家畜育種学における先駆者である。彼は、育種価(一般にはランダム効果)の最良線型不偏予測値を得るための混合モデル方程式を導いた。

Charles Roy Henderson(1911年4月1日 – 1989年3月14日)
アメリカ合衆国の統計学者であり、家畜の遺伝評価における定量的方法の応用において、家畜育種学における先駆者である。彼は、育種価(一般にはランダム効果)の最良線型不偏予測値を得るための混合モデル方程式を導いた。

ラッシュに続いて,コーネル大学のヘンダーソン C.R. Henderson とエジンバラ大学のロバートソン Sir Alan Robertson が1950年代初頭に乳用種雄牛の能力のコンピュータ評価法を確立した。それにより遺伝的改良量の予測が一団と向上した。

ヘンダーソンはその後の25年の間に,乳用牛と肉用牛の育種に用いられているさらに進んだ遺伝評価システムのほとんどを開発した。コンピュータの技術革新もあり,これらのシステムが実用可能となってきた。

管理環境の改善による生産量の向上と異なり,遺伝的改良は恒久的なものである。

この講義では,

  1. メンデル
  2. ハーディとワインベルグ
  3. フィッシャーと ライト
  4. ラッシュとヘンダーソン

などの多くの遺伝学者によって確立されてきた基本的な原理を学び,そして,メンデル遺伝学,集団遺伝学ならびに量的遺伝学の知識がどのように家畜の長期的な改良に用いられるのかを学ぶ。

 


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March 1, 2020

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