クローン動物
ドリーから何を学んだか?
ドリー Dolly 誕生の以前には,
「 8 細胞期や 16 細胞期胚の割球を利用することによって,動物のクローン生産は可能であろう。しかし,胚盤胞以降の分化の始まった細胞からは個体発生は得られないだろう。ましてや,形質が明確な成体から得られた核からクローンを作出することは,全く現実的ではない。」と多くの研究者は考えていた。
しかし,1997 年 2 月にスコットランド,エジンバラのロスリン研究所のウィルマット博士 I. Wilmut をチーフとする研究グループが,成体のヒツジから得た細胞の核から Dolly と名付けられた健康なヒツジを誕生させたと報告した ( 1997 年 2 月 27 日号 のNature ) 。
何故,この業績が世間を沸かせるのか(一般の予測を覆してしまうのか)?
成体におけるすべての細胞は,
- 1 個の受精卵に由来し,
- 有糸分裂 mitosis によって生じる。
したがって,成体の各細胞は個体に必要な完全なゲノムを当然もっているだろう。
20 世紀の初頭に,ドイツの発生学者シュペーマン Hans Spemann は受精卵が 5 回目の卵割後でも(25 = 32細胞期),その核が成体に発育できる完全な能力を保有していることを示した。自分の赤ちゃんの髪の毛を利用して,両生類(イモリ)の受精卵を縛り,二等分に圧縮し分けた。

- 核は一方に閉じ込めて,
- 両者はわずかな細胞質によって連絡するようにした。
Spemann は以下のことを見出した:
- 最初は,接合子の核を含む半分で有糸分裂が進行した。
- 最終的に, 1 個の核をもう一方の半分に移すと,核は分裂を開始した。
- 二等分した両方が灰色三日月環 gray crescent と呼ばれる細胞質領域を含んでいると, 2 つ目の半分からも完全に形成された胚子が得られた。
この様に,32 細胞期でも核は個体の発生に必要な完全なゲノムを失ってはいなかった。
シュペーマンの結果はクローニングが可能なことを示唆しており,遺伝的に同一な核は,遺伝的に同一の個体を形成できるはずである。 もちろん,それはヒトの一卵性双子や三つ子などでも起こっていることと同じである。それらは”ミニクローン”とも言える。
シュペーマンの実験のあとに,マイクロマニピュレータが開発され,細胞から核を除くことが可能となった。これらの核の発生能を調べるためには,除核した卵 ( 本来の核を取り除くか破壊した卵 ) へ核を注入することである。この方法によって(体細胞核移植 somatic-cell nuclear transfer, SCNT),カエルの 胞胚 を構成する何千個もの細胞核のいずれも正常に発生することが見出された。
さらに,移植された核が新たに胞胚を形成した時に,これらの核を遺伝的に同一の核として利用することも可能で,これにより多数の遺伝的に同一のオタマジャクシが作出できる。


これまで,成体の細胞ではうまくいかなかった
成体のカエルから取った核を除核した卵に移植しても,成功していなかった。多くの胚は異常発生したり,発生を停止してしまった。長年の努力にもかかわらず,成体のカエル細胞から得た核を移植しても,成体のカエルに発生したものはなかった。ウィルマット博士が成功するまで,どの動物でも成体の細胞から取り出した核からクローンは生まれていなかった。

なぜ発生しないのか?
その確かな理由は分からないが,はっきりしていることは発生中に分化した細胞の DNA は変化するということである。ただし,塩基配列が変わるのではなくて,発現( 転写 )の能力 が変化するのである。 DNA が化学的に変化している。生物の DNA における シトシン cytosine ( C ) の 8% もが メチル化 されている。メチル化された DNA を含む遺伝子は活性をもたない。したがって,成体の個体は完全なゲノムをもってはいるが,多くの遺伝子が発現しないように変化しているようである。
ウィルマットのグループがしたことは,成体の哺乳動物から採取した細胞の核における遺伝子発現の十分な能力を再度引き出す方法を見つけたということである。彼らは,そのための生化学的な機序は知らなかったが,彼らが行ったことによって不活化した遺伝子が再び機能したのである。
遺伝子のインプリンティング についてはこちら |
ドリーの作出
- スコティシュ・ブラックフェース種 ( 雌ヒツジ )の卵を除核する。
- ヒツジを ゴナドトロピン分泌促進ホルモン gonadotropin-releasing hormone ( GnRH ) で処理して,卵の発育と成熟を促す。多くの哺乳動物と同様に,成熟卵は第 2 成熟分裂 ( 第 2 減数分裂 ) の中期で停止する。
- 極体 polar body の付近を狙ってマイクロピペットを卵に差し込み,極体と共に卵の半数体の染色体を吸い出す。
- 培養中の 2 倍体細胞と除核した卵細胞質とを融合する。
- フィン・ドーセットの成体雌ヒツジ (顔面の被毛は白色 )の乳腺から得た細胞を体外培養する。
- 使用前する5 日前に培地の栄養レベルを下げ,細胞が分裂を停止して,細胞周期 の G0 期に入るようにする。
- 培地中で供核細胞と除核した受核卵細胞質を接触させる。
- 培養中,電気的パルスを付与して,
- 両者の細胞膜が融合するようにして,
- 再構築卵が体細胞分裂するよう刺激する(受精時の活性化刺激を模倣して刺激する) 。
- 培養を継続して,桑実胚あるいは 胚盤胞 blastocyst まで発生させる( 6 日間 の培養)。
- 着床を促すために予め GnRH で処理されたスコティッシュ・ブラックフェース種の子宮に数個ずつ移植する (ドリー作出の場合には13頭の受胚雌が使用された) 。
- 成功を期待して待つ。
結果: 148 日後に 1 頭の雌ヒツジが生まれた。 ドリーである。

ドリーは何が異なるのか?
また,ウィルマットのグループは胚細胞 ( 受精後 9 日目) ならびに胎子 ( 受精後 26 日目 ) から得られた細胞から,同じ技術を用いて子ヒツジを誕生させている。しかし,この場合は核を提供する個体が誕生していないので,表現型を予め知ることはできない。
その後,サルのクローニングが胚細胞の核を利用して行われている。これは自然に起こる一卵性双子を人為的に作出するのに近い。これらの形質は,移植後に誕生して,発育してからでないと判明しない。ところが,ドリーとして誕生した核は成体の動物由来のものであり,その形質は既に分かっている点で大きく意味が異なる。
ドリーが本当に体細胞クローンであるかどうかを検査する
- ドリーは顔面が白色の被毛をもつが,受胚雌 ( 生みの親 ) はスコティッシュ・ブラックフェース Scottish Blackface 種である。
- DNA フィンガープリント法 によって,スコティッシュ・ブラックフェース種ではなくフィン・ドーセット Finn Dorset 種のヒツジ ( これは乳腺細胞を提供した品種 ) に見られるバンドが検出されている。
さらなる証明:科学者のなかには,細胞を提供した個体がその時に妊娠していたため,ドリーが乳腺組織培養に紛れ込んだ胚細胞に由来するのではないかと主張するものもいた。しかしながら, 2 つのグループが DNA フィンガープリント法 によってドリーは培養細胞とそれらを供給したフィン・ドーセット種ヒツジと全く同一のゲノムを持っていることが確認されたと報告している ( Nature の 1998 年 7 月 23 日号 ) 。 |
この目覚ましい功績は何を意味するのか?
その後何年も経過しているにもかかわらず,まだ分からないことが多い。
- G0 期の細胞を用いたので,不活化遺伝子が脱メチル化して,再び発現することが可能になったのか?
- 用いられた乳腺細胞は真の分化した上皮細胞ではなく,乳腺に存在する原始幹細胞であったのではないか?
ドリーのテロメアはどうなのか? ドリーのテロメアは正常な 1 歳ヒツジのテロメアの 80% 程度であったことが分かっている。 テロメアの長さと細胞の寿命についてはこちら |
ドリーのミトコンドリアはどうなのか? ドリーの核ゲノムはフィン・ドーセット Finn Dorset 種ヒツジ由来であるが,ミトコンドリアはスコティッシュ・ブラックフェース Scottish Blackface 種ヒツジの細胞質由来である。ミトコンドリア DNA の遺伝子という点で見ると,ドリーはフィン・ドーセット種の雌親のクローンではないことになる。 |
体細胞核移植 SCNT による他の動物におけるクローニング
ドリーの誕生以来,体細胞核移植(SCNT)によって,ウシ,マウス,ラット,ヤギ,ブタ,ウサギ,猫,ラバ(”Idaho Gem”),ウマ,ならびにイヌにおいて,見た目に健康なクローン産子が得られている。しかし,最近まで霊長類では試みられていない。
しかし,2018年現在,2匹の遺伝的に同一のサル(長尾猿)をSCNTによって誕生させることに成功したと中国の研究グループが報告している。
彼らの成功率は低かったが,(成体の細胞ではなく)胎児の細胞を使用して成功例を得ている。
成人の細胞からヒトクローンはつくられないという意見について?
それを期待すべきではない。
いずれ成体の細胞からサルのクローンがつくられるだろう。そして,これがヒトクローン作出への道を開くものとなるだろう。
諸君,それを望みますか?
March 28, 2020