(時時刻刻)ゲノム編集食品、食卓へ 遺伝情報、ピンポイントで改変
2019年07月09日
野菜や家畜など、生物の遺伝情報をピンポイントで変えられる、ゲノム編集技術を使った食品が市場に出回る。近く国への届け出が始まり、血圧の抑制をねらったトマトが来年にも発売される見込みだ。ただ、国へ届け出なくても罰則はなく、食品表示の義務化も見送られる見通しだ。新しい技術への消費者の不安はぬぐえないままだ。
■国産第1号、来年にも
筑波大の江面(えづら)浩教授はゲノム編集技術を使い、GABA(ギャバ)という成分を通常の4~5倍含むミニトマトを開発した。GABAにはストレスを和らげたり、血圧上昇を抑えたりする働きがあるという。江面さんは「1日に二つ食べれば血圧の上昇を抑えられると期待できる」と話す。このトマトが食卓に上るゲノム編集食品の国産第1号の候補とされる。
遺伝情報はゲノムと呼ばれ、DNAという分子でできた生き物の設計図だ。ゲノムにある遺伝子のわずかな変化が、動植物の肉づきや色味を左右することがある。DNAは自然に切れてつなぎ戻される際、まれに突然変異を起こす。突然変異は放射線を当てることで人工的に起こすこともでき、従来の品種改良は、突然変異で現れた有用な品種を掛け合わせ、欲しい性質のものを選び出してきた。
しかし、こうした方法は時間がかかる上に自然まかせだ。DNAの狙った部分を切って遺伝子を壊したり、働き方を変えたりできるのが「CRISPR(クリスパー)/Cas9(キャスナイン)」というゲノム編集だ。2012年、欧米の研究者によって開発された。農産物だけでなく、医療分野の研究も進む。
江面さんが開発したトマトもこの技術を使った。農業・食品産業技術総合研究機構(茨城県つくば市)では収量が多くなるイネの品種改良に利用。同機構の小松晃・上級研究員は「精度が高いうえに安全面は従来の品種改良で作られた農作物と同じ」と話す。国内ではこのほかにも、芽に毒のないジャガイモ、身が多いマダイなどの開発が進む。(戸田政考)
■届け出・表示、義務なし 別の遺伝子入れない場合
GABAトマトを含め、ゲノム編集は使い方次第で、突然変異と区別できない状態をつくれる。昨秋から厚生労働省で始まったゲノム編集食品の規制のルールをめぐる議論では、この点が最大の焦点になった。
安全性審査が義務づけられている遺伝子組み換え食品は、別の生物の遺伝子を取り込ませている。厚労省の部会では、ゲノム編集でDNAを切って変異を加えるだけの食品は、突然変異と区別できず、遺伝子組み換えに当たらないと整理。安全性審査も不要とした。
ただ、外部から入れた遺伝子がないかや、毒性物質が増えていないか確認が必要だとして、届け出を求めることとした。届け出の義務化を求める声も出たが、突然変異との区別がつかないなどの理由で見送った。また、ゲノム編集食品を使った加工食品は届け出対象外とした。
一方、ゲノム編集を使って外部の遺伝子を取り込ませる手法は、遺伝子組み換えに該当し、安全性審査が必要だとした。厚労省は26日まで新ルールの意見を公募し、必要な修正をして通知する方針だ。
厚労省の議論を踏まえ、消費者庁は6月の消費者委員会の部会で「表示の義務化は困難」との見解を示した。義務化すると違反した食品を特定して事業者を処分する必要があるが、現状ではゲノム編集と突然変異とを見分ける検査法がないと説明。表示は任意になる見通しだ。
この場合、ゲノム編集でないことをアピールする事業者が出る可能性もある。部会では、ゲノム編集食品は安全性に問題があるとかえって消費者が誤認し、風評被害につながらないか懸念する意見も出た。一方、外から遺伝子を入れるタイプは遺伝子組み換え食品と同様に表示が義務化される。消費者庁は厚労省の通知に合わせ、表示のルールについて見解を示す方針だ。(阿部彰芳)
■「食べたくない」、相次ぐ不安の声
ゲノム編集は狙った部分の遺伝情報を変えることができる。とはいえ、「何でもできると思われがちだが、そうではない」と、多くの研究者は口をそろえる。ゲノム編集を使うには、膨大な遺伝情報の解読が必要だが、明らかになっているのはごく一部だ。
「ゲノム編集技術は発展途上。被害が起きてしまった時の責任はどうなるのか」「操作したかどうか我々にはわからない」
4日に厚労省、農林水産省、消費者庁が東京で開いた消費者向けの意見交換会で、不安の声が相次いだ。
東京大の研究チームが昨年実施したインターネット調査では、約1万人のうちゲノム編集技術を知っているのは半数以下。43%がゲノム編集された農作物を「食べたくない」と答え、「食べたい」の9・3%を大きく上回った。畜産物では「食べたくない」が53・3%、「食べたい」が6・9%だった。
消費者の不安をぬぐう道筋がみえないなか、消費者団体は「(届け出の)実効性をどう確保するのか。海外からの情報提供は限られる場合もあると予想される」(日本生活協同組合連合会)、「表示もなく食卓に上ることは到底認められない」(主婦連合会)などと国に意見を出してきた。届け出も表示も任意とする方針に、全国消費者団体連絡会は「新しい技術に不安を感じている消費者もいる。事業者には、消費者が商品を選択できるよう知らせる努力をしてほしい」と釘を刺す。(野村杏実、小林未来)
■消費者の信頼、損なう恐れ
西澤真理子・筑波大非常勤講師(リスク政策)の話 ゲノム編集技術が安全でも、消費者がそう感じるかどうかは別。対話して信頼をはぐくむ丁寧なプロセスが必要なのに、国や科学者による「安全情報の伝達」止まりなのが現状だ。信頼構築には「透明性」が不可欠だが、表示義務なしという国の方針が、逆に消費者の信頼を損なう方向に作用する可能性もある。拙速感が否めず、このままだとマーケットは広がらないだろう。
【図】
遺伝情報を変える方法とルール
《朝日新聞社asahi.com 2019年07月09日より抜粋》