(時時刻刻)WHOが警戒度4、妥協の末 新型インフルエンザ感染拡大
2009年04月29日
新型インフルエンザの世界的大流行(パンデミック)の発生に備えて27日、世界保健機関(WHO)が警戒レベルを「フェーズ4」に引き上げた。公表まで長引いた議論の背景には、経済危機への配慮が色濃くにじむ。感染が世界的な広がりをみせる中、日本は水際対策に力を入れる。=1面参照
●WHO、経済危機に配慮 SARS教訓、国境封鎖なし
「政治的、経済的な影響を強く認識していた」
WHOのケイジ・フクダ事務局長補(日系米国人)は27日、警戒レベルの「フェーズ4」への引き上げを決めた緊急委員会後の記者会見で、国際社会に与える影響を配慮した決定だったことを認めた。
事前には、委員会を急きょ前倒しで開催したことで、一気に「フェーズ5」へ2段階引き上げるのではないかとの見方も有力視されていた。だが、同日午後4時に始まった委員会は3時間以上に及び、さらに警戒レベル「4」への引き上げも、終了3時間後にようやく発表した。
過度な警報を出せば、社会不安をあおりかねない――。関係者は「ある程度妥協した内容だ」と打ち明けた。
WHO関係者によると、多くの委員が警戒レベル引き上げの方向で同調する中、難色を示したのは25日の1回目の委員会と同様、「震源地」のメキシコだった。
死者のほとんどが集中する首都メキシコ市の当局者によると、市民の多くが外出を控えた先週末、経済活動は60%落ち込み、1日あたり7億3千万ペソ(約50億円)の経済的損失が出たという。渡航制限や国境封鎖といった厳しい措置が取られれば、基幹産業の観光には致命傷になる。
WHOのマーガレット・チャン事務局長も慎重な態度だったという。チャン氏は94年から03年まで香港政府の衛生署長を務め、03年に香港が新型肺炎「SARS」の流行に見舞われた際は、対策の陣頭指揮をとった。WHOが当時、香港などを対象とした渡航延期勧告に踏み切った結果、観光客減少や株価下落など深刻な経済的影響を受けたことは誰よりも知っている。
今回、WHOが警戒レベルを過剰に引き上げれば、世界的な経済危機に追い打ちをかける結果になりかねない。28日に会見したWHOのハートル広報官も「SARSの時は、国境での検査によって経済が壊滅的な打撃を受けた。我々はこういったことを繰り返したくない」と語った。
次に感染者が多い米国も、渡航制限には敏感にならざるを得ない。米政府もメキシコへの渡航は必要がなければ自粛するよう勧告。だが一方で、欧州連合(EU)が米国を対象とした渡航制限策を検討しているとの情報が一時流れると、ニューヨーク市のブルームバーグ市長は「ニューヨークへ旅行に来るべきではないという根拠があるとは思えない」と反論した。
結果としてWHOはあえて「国境封鎖や渡航制限を行わないよう勧告する」と強調。通常の季節性インフルエンザワクチン生産の継続も勧め、各国に平静な対応を求めた。
ただ委員会内部では、感染が北米から欧州などへと急拡大している状況を受け、「フェーズ5の要件は満たしつつある」との認識が広まりだした。近日中に再び警戒レベルを引き上げる可能性が高いとの見方も強まっている。
(ジュネーブ=南島信也ロサンゼルス=堀内隆ニューヨーク=田中光)
●日本、厳格な対策重視 米国・WHOは柔軟対応
新型インフルエンザ対策で、WHOは4月、改定ガイドラインを公表した。新型ウイルスの毒性や広がり具合などを総合的に判断し、「重」「中」「軽」の三つに分けたのが大きな特徴。従来は、人の死亡率が60%という鳥インフルをもとにしていた。
改定作業メンバーでもある賀来満夫・東北大教授(感染制御学)は「強い毒性のウイルスを前提にした事態の想定だけだと、出現したウイルスの毒性が弱くても、パンデミックというだけで、大混乱が生じる心配があった」と話す。
ガイドラインには、「軽」タイプの新型ウイルスがじわじわと感染を広げ、フェーズ5レベルがあり得るという考えを取り入れた。まさに今回はそうした事例にあたる。
米国のガイドラインでも、患者の症状の重さ(死亡率)に応じて、1から5の5段階で学校や職場の対応を提案している。たとえば、重症だと休校を「推奨する」が、軽症だと「推奨しない」になる。
一方、日本政府の新型インフルエンザ対策の行動計画は、毒性が高い鳥インフルエンザH5N1から新型インフルエンザが発生する、と想定するのみだ。05年に最初につくられてから4回の改定を重ねたが変わっていない。
日本のものは、一律に活動自粛を求めるような項目もある。例えば、原則として都道府県は、県内で1人の患者が確認された時点で、県全体や隣接県など広範囲の学校に休校を要請する。休校になれば親の仕事にも影響するなど影響が大きい。
フェーズ4宣言を経て、政府が豚インフルを新型と認定した結果、感染症法にもとづく措置がとれるようになるなど厚生労働省は対策を打ち出しやすくなった。28日には、北米からの到着便を原則航空機内で検疫をすると発表した。症状があり、発生地域から来た場合、隔離対象となる。濃厚に接触していた人も待機してもらい、様子をみる。
日本は「厳格」なままなのか。厚労省関係者によると、実は日本でも、米国やWHOのように対応できる改定が必要との認識があった。「今年2月の改定でやりたかったが、ほかにも改定すべき点があり、無理だった」という。
国内で患者が発生して「国内発生早期」に入れば、特別に診療の外来が設けられ、特定病院での入院治療もある。その際、厳しい事態を想定して作られた“フル装備”のガイドラインが現場の重荷になるのでは、と賀来教授は懸念する。「制度をきちんと決めても、それを支えるスタッフの態勢などに不安の声がある。豚インフルを、運用面での成果や課題を整理する機会ととらえてはどうか」と話す。
■WHO事務局長声明の骨子
・警戒レベルを現在のフェーズ3からフェーズ4に引き上げる。
・引き上げは、世界的流行(パンデミック)を引き起こす可能性が増したことを示しているが、それが不可避ということではない。
・発生を封じ込めるのは不可能。いかに抑えていくかに焦点を当てるべきだ。
・国境封鎖や渡航制限は行わないよう勧告。
・当面は季節性インフルエンザ用のワクチン生産を続けるべきだ。
【写真説明】
ジュネーブで28日、豚インフルエンザの感染状況について記者会見するWHOのハートル広報官=ロイター
《朝日新聞2009年04月29日より引用》