20190118

(月刊安心新聞plus)豚コレラ、26年ぶり国内で 人類が招いた生命系の混乱 神里達博


2019年01月18日

 

亥(い)年だというのに、イノシシが疎まれている。原因は、岐阜県での「豚(とん)コレラ」の発生である。

ことの始まりは去年の夏にさかのぼる。8月、岐阜市のある養豚場で、複数の豚の体調が悪化していた。獣医師は当初「熱射病」と診断したが、感染症の可能性も認められたことから、抗生剤の注射なども行われた。しかし、一向に改善しない。

詳しく病気の原因を調べるため、9月3日に1頭の死亡豚が県中央家畜保健衛生所に持ち込まれた。豚コレラの検査もされたが、陰性。ところが7日の再検査では陽性となり、国の研究機関にサンプルを送って検査したところ診断が確定、9日、日本では実に26年ぶりとなる「豚コレラ」の発生が明らかになったのだ。

その後、市や県の公的施設も含め、合計6カ所で患畜が見つかり、関係者は対応に追われた。特に6例目にあたる関市の養豚場は規模が大きく、約8千頭もの豚を殺処分する必要が生じた。このため岐阜県知事は自衛隊に災害派遣を要請、大規模な埋却処分が行われたのである。

一方、9月14日に岐阜市内で、死んだ野生のイノシシから、豚コレラウイルスが検出された。その後、現在までに、発生現場周辺などに生息していたイノシシのうち、約90頭から感染が確認されている。このため感染拡大はおもにイノシシが媒介していると推測されている。愛知県犬山市でも、12月に4頭のイノシシの陽性例が見つかっており、速やかな対応が求められるところだが、野生生物への対策は容易ではない。

ここで、豚コレラウイルスについて簡単に確認しておこう。

学問的には「フラビウイルス科ペスチウイルス属」に分類されるが、ヒトの経口感染症「コレラ」は細菌が原因であり、全く無関係である。フラビウイルスの仲間は広く脊椎(せきつい)動物に見られ、2014年に東京で蚊を媒介に広がったデング熱や、C型肝炎のウイルスなど、厄介なものも含まれる。

だが、このペスチウイルス属はヒトには病気を起こさないため、仮に豚コレラに感染した肉を人間が食べたとしても、影響はないとされる。

感染経路は口や鼻で、糞便や唾液(だえき)などにウイルスが含まれ、広がりやすい。死亡率は高いが、初期症状にあまり特徴がないため、対応が遅れて被害が拡大することも多い。

起源については諸説あるが、19世紀の養豚産業の発展に伴って豚の品種改良が進められた結果、元々豚に潜在していたこのウイルスに対する改良豚の感受性が高まり、発症するようになったと考えられている。

日本では、1887年に北海道で発生した記録が最も古く、長年、畜産業を苦しめてきた。だが戦後、生ワクチンによる予防接種が精力的に行われたことにより、急速に発症数が減少、2007年には国際的な基準でも「清浄国」となった。

豚コレラは、家畜伝染病予防法で定められた「28種」の家畜伝染病の一つであるが、特に総合的に発生の予防や流行の防止のための措置を求められる「8種」にも指定されている。早期に、この重大な病気を疑うことができなかったのは、今から考えれば反省すべき点であろう。

とはいえ、現場感覚としては、珍しい病気を見つけるのはかなり難しいことであろう。なにしろ、この病気は1992年を最後に、日本では一度も発生していなかったし、岐阜県に限れば36年間、例がなかったのだ。また昨年の夏は猛暑であったので、当初、熱射病を疑ったのも、自然な判断だったといえる。

さらに近年は、家畜の新興・再興感染症が繰り返し大きく社会問題化しており、獣医師などのスタッフへの負担が相当に重くなっていることも忘れるべきではない。

このような問題が起こるたびに、規制が厳しくなる傾向があるが、それが単に現場にしわ寄せが行くようなものでは、かえって実効性が低下する。ルールの改善と同時に、必要な人員や予算を確実に手当てすることも、やはり非常に重要であろう。

最後に少し、視野を広げてこの問題を考えてみたい。

実はいま、隣の中国では「アフリカ豚コレラ」という全く別のウイルス性疾患が猛威をふるっている。これは、アフリカへの欧州人の入植によって顕在化したとされる豚の病気で、アフリカと、ロシアから東欧にかけての地域で問題になっていた。

だが昨年夏、アジアで初めて中国で確認され、現在も拡大を続けている。ヒトへの感染はないが、ワクチンが存在しない点は「豚コレラ」と異なる。世界の豚の約半分が中国で飼われているという。すでに数十万頭が殺処分されたと報じられているが、収束のメドは立っていない。

振り返ってみれば、狂牛病、鳥インフルエンザ、また口蹄疫(こうていえき)と、近年、世界中で家畜の伝染病が繰り返し問題になってきた。それは結局のところ、人類が環境開発によって自己の領域を拡大させ、また工業的な農業によって肉食を推し進めた結果でもある。さらにグローバル化の進展が病原体の拡散を加速したことも否定できない。そういう意味では、豚もイノシシも、被害者だろう。

多くの識者が指摘してきたことではあるが、人類の突出した活動が、地球上の生命系を混乱させ、その結果が今、ブーメランのように人類に戻ってきている。この現状について、豚コレラの拡大を契機に、私たちは改めて考えてみるべきではないか。容易に答えが出ない難問だからこそ、向き合い続けるべきだろう。

かみさとたつひろ 1967年生まれ。千葉大学教授。本社客員論説委員。専門は科学史、科学技術社会論。著書に「文明探偵の冒険」など

 

《朝日新聞社asahi.com 2019年01月18日より抜粋》

 

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