(平成をあるく:2)口蹄疫 畜産王国試練、地域の絆固く /宮崎県
2019年01月04日
2010年4月20日、都農町で発生した口蹄疫(こうていえき)。5市6町292例に感染が広がり、8月27日の終息宣言まで4カ月がかかった。
愛情をかけて育てていた29万7808頭の命を自分の手で奪うという決断を余儀なくされた。「畜産王国の宮崎だからこそ持ちこたえられた試練」。著書のなかで口蹄疫をこう表現した当時の西都市長、橋田和実さん(66)と市内を歩いた。
「とにかく早く解決せにゃいかん。その一心でした」
橋田さんはそう言って、「畜魂碑」と刻まれた石をなでた。殺処分された西都の牛や豚を弔い、市の畜産センターに建てられた石碑。刻まれた字は橋田さんが手書きし、石は市内の牛農家が庭石を譲ってくれた。石を見て「こんげな風にぷっくり肥えちょって、うちの牛たちを思い出すわ」と話す農家もいたという。
西都市では当時、約3万4千頭の牛や豚が飼われていたが、口蹄疫で2万716頭を殺処分した。市内12カ所の埋却地に眠っている。
センターから車で15分ほどの川越伸一さん(48)の牛舎を訪ねると、牛たちがえさをはんでいた。母牛を育て、子牛を産ませる繁殖農家。今は親子約100頭を飼う。口蹄疫では飼っていた全66頭を失った。妻久美子さん(46)と結婚したばかりで、殺処分前日に生まれた子牛もいた。
「夫婦で涙、涙だった。こそっと山に逃がせないか考えたこともありました」
殺処分の決定を農家に告げるのは市職員の役目だった。橋田さんは、受話器を握って頭を下げる職員を見ながら、市内の農家の顔を思い浮かべていたという。
自身も実家が繁殖農家で畜産一筋。「畜産市長」と呼ばれていて、市内の農家のことは家族構成から飼っている牛の名前までわかっていた。
「子牛が産まれると80歳の農家さんが『孫ができた』と目を輝かせて話す。殺処分します、なんてよう言わんですよ」
農家、埋却地交渉、国や県とのすり合わせ……。市長として「毎日毎日が戦いだった」。農家の「せめて目の届かない場所で殺処分してほしい」という思いをくみ、埋却地に牛を集め、そこで殺処分・埋却するという西都独自の方法も実現させた。川越さんは「橋田市長だったからこそ。感謝している」と話した。
*
繁殖農家から子牛を買い、肉牛として育てる肥育農家も一緒に訪れた。約200頭を飼う大崎貞伸さん(40)。最近は川越さんから買った子牛が品評会でいい成績を残し、2人で喜んだという。
父親から経営を引き継ぎ、牛舎を新設した矢先の口蹄疫。西都で3例目の発生農場だった。157頭を失い、同じ環境での再開はできないという思いから、敷地の入り口や牛舎には消毒設備を増やした。埋却地は家の近くにあり、品評会でいい成績が出ると今も眠っている牛たちに報告にいく。
8年が経ち「失ったものは大きいが、得たものもあった」と振り返る。復興のなかでいろんな人に助けられ、励まされ、地域のつながりが強くなったと思う。地元のお祭りが、職業や年齢に関係なく盛り上がるようになった。
「みんな優しいから僕らには言わないけど、被害を受けたのは決して畜産農家だけじゃない。お客が来なかったり、外に出られなかったり。みんなで乗り越えたからこそ、今の地域がある」
*
大崎さんの牛舎から橋田さんの家まで車で戻った。窓から見える景色に「もう口蹄疫を思い出すものはない」という。埋却地もいまでは畑などに姿を変えた。
「いい意味でも悪い意味でも意識は遠のいている。口蹄疫は私たちが普段食べている肉が家畜の大事な命だと改めて教えてくれた。宮崎はこの経験を日本の、世界の産地に残していく使命がある。宮崎にお手本はないんですからね」(小出大貴)
■(そのころ)「農業の崩壊につながる」
口蹄疫が発生した2010年、環太平洋経済連携協定(TPP)を巡り、政府が「関係国との協議を開始する」との方針を決定したことを受けて、「農業県」の宮崎では反対の動きが広がった。農業関係者たちは「宮崎の農業の崩壊につながり、口蹄疫からの復興も果たせない」と訴えた。
環太平洋地域での関税撤廃・自由貿易化を目指すTPPにより、JAグループ宮崎は当時、県農業産出額3246億円から1500億円程度減少すると試算。「壊滅的打撃を受けるのは必至」とした。
県出身の国会議員も菅直人首相に「交渉参加反対」を申し入れた。県内では農業関係者や経済団体など約3200人が「TPP参加阻止 どげんかせんといかん」と書かれた横断幕を手に、大規模なデモ行進をした。
しかし、米国を除く環太平洋経済連携協定(TPP11)として18年末に発効された。
【写真説明】
(上)繁殖農家の川越伸一さん(中央)と妻久美子さんと話す橋田和実さん=西都市
(下)口蹄疫で感染拡大を防ぐため殺処分され埋却される牛=2010年6月、都城市高崎町
畜産センターにある「畜魂碑」=西都市
「TPP交渉参加、反対」と訴えるデモ行進=宮崎市
《朝日新聞社asahi.com 2019年01月04日より抜粋》