(あのとき・それから)1944年 和牛の誕生 サシ重視、偏る種牛に危機感も
2017年12月20日
(昭和19年)
和牛の高級銘柄「松阪牛」。先月26日、三重県松阪市で開かれた第68回松阪肉牛共進会で、同県大紀町の岡田一彦さん(72)の「ゆうこ」が優秀賞1席に選ばれた。予選から残った50頭は、すべて兵庫県産の「但馬牛」の子牛を肥育した未経産雌だ。「大切に育ててきたことを評価してもらえたのだと思います」
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「黒毛和種」など3品種が日本固有の品種として固定されたのは1944年。在来の品種に外国品種をかけあわせ大型化された。後に1種が加わり、現在は4品種ある。
「日本では遅くとも、牛の骨や埴輪(はにわ)も出る古墳時代には牛を飼っていたと思われます」と岩手県の「牛の博物館」主任学芸員の森本陽さん(34)は語る。主に運搬や農耕などに使われ、仏教の影響で天武天皇が675年に肉食禁止令を出すと、食用にされることはなくなった。
幕末に日米修好通商条約が締結され、居留地の外国人向けに肉の供給が必要になる。1865年に横浜にと畜場ができ、飼養が盛んな関西から神戸港経由などで生きた牛を運んだ。その肉がおいしいと評判になり、外国人に「神戸ビーフ」の名が広まる。
日本人は、水で穢(けが)れを清める意味を込めて「野菜といっしょに煮て食べる方法を考え出した。牛鍋である」と吉田忠京都大名誉教授(経済学)は「牛肉と日本人」(農山漁村文化協会)で書いた。「煮て食べるためには、サシのよく入った牛肉の方がよい。煮ても、やわらかさや肉汁・香りが保たれる」
昭和40年代に入って乳牛の雄の食肉利用が本格化し、1991年の自由化で安価な輸入牛肉が流入。「和牛は肉質の良さで競争するしかなくなった」と元農水省農業総合研究所長の榎勇さん(88)は語る。枝肉の格付けもサシが多い方がランクが高く、サシを増やす改良に拍車がかかった。
こうした潮流のもと、1頭の種雄牛が存在感を増した。但馬牛の「田尻」(1939~54)だ。きめ細かいサシが入りやすい形質を子孫に伝えた。2012年の全国和牛登録協会の調査では、黒毛和種の繁殖雌の99・9%以上がこの子孫だった。
前沢牛(岩手)の「和人(わじん)」、飛騨牛(岐阜)の「安福(やすふく)」なども田尻の流れをくむ。但馬牛の血脈は多くのブランド牛を生んだが、種雄牛が偏ることには問題もある。いま全国的に鹿児島県産の「平茂勝(ひらしげかつ)」を父に持つ種雄牛が人気だが、「共通の祖先を持つ種雄牛に利用が集中し、遺伝的多様性が失われつつあるのが問題になっています」と家畜改良センター肉用牛改良係の浅田正嗣係長(43)は指摘する。
兵庫県立農林水産技術総合センター北部農業技術センターの福島護之所長(59)も「全国の黒毛和牛を一頭の牛に例えれば、半分が兵庫県産の祖先の遺伝子でできている」。なかでも但馬牛は兵庫県内だけで交配される「閉鎖育種」。危機感は強い。県内全雌牛の情報をコンピューターで管理。種雄牛が偏らぬよう、1頭の精液の使用は年間4千本までに制限している。
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近年、サシ重視の肉質改良は劇的に進んだ。格付け等級の最高ランク「A5」とそれに次ぐ「A4」を合わせた割合は、雌の場合、1996年の28・8%が、昨年は57・4%。20年間で2倍になった。
いっぽうで最近、脂肪の質による口溶けのよさや、うまみなど肉の味を向上させる研究も進む。東北大大学院の鈴木啓一教授(動物遺伝育種学)は「おいしさの要素は食感と味と香り。融点が低いオレイン酸の多い脂肪は舌触りが良く、香りにも影響する。ただ、脂肪が増えれば、うまみにつながるアミノ酸は減る。脂肪交雑を増やせばいいという今の路線は変更が必要かもしれない」。
兵庫県香美町で但馬牛の子牛生産から小売りまで手がける上田畜産の上田伸也代表取締役(46)は「A5とかA4とかは規格の話。大切なのはおいしさ。和牛らしさ、食べやすさが求められている。ブランド名だけで売れる時代ではないと思っています」と話す。(三ツ木勝巳)
■土地柄まとう、日本の食の財産 フードジャーナリスト、食文化研究家・向笠(むかさ)千恵子さん
明治天皇が1872年、肉食宣言されると、日本中に肉食が行き渡りました。
その代表料理が「すき焼き」だったと思います。9年前、私の著書「すき焼き通」の出版を機に、年3回ペースで同好の士が全国から集い、各地で和牛の生産者訪問などの勉強会と、その地ならではのすき焼きを味わう「すきや連」が自然発生的にできました。
群馬では、肉は上州和牛、ザク(具材)は特産の下仁田ネギ、生イモの糸コンニャクなどを使いました。前橋と下仁田で計2回開催。その後、すき焼きは県おこしの目玉に。仙台市では、仙台牛のすき焼きに在来種の仙台白菜を使う「地産地消」が喜ばれました。
最近、「霜降り信仰」の揺らぎを感じます。適度にサシが入り、和牛香があって心地よい弾力感に富む「適サシ肉」の使用を、東京・浅草の老舗「ちんや」さんが宣言。肉業界も刺激を受けました。
いい肥育農家は、どれだけ稲わらを食べさせるか、そしておいしい水も大切と言います。生産者が慈しんで和牛を育てている姿を何度も取材でみてきました。地域風土の遺伝子をまとい、生産者の思いも糧に育ってきた和牛だからこそ、この国の食の財産なのだと思っています。
■和牛
和牛を名乗れるのは「黒毛和種」「褐毛(あかげ)和種」「無角和種」「日本短角種」の4品種と、それらの交雑種のみ。これらの和牛品種は、明治期などに外国の牛との交配で品種改良が行われた。「黒毛和種」は、在来牛にブラウンスイス種などを交配した。「褐毛和種」は、熊本県と高知県で飼われていた朝鮮牛を基礎とした在来牛に外来種を交配。「無角和種」は、在来牛に英国原産の肉用種アバディーンアンガスを交配した。3種とも1944年に固定(特徴が安定して子孫に伝わること)された。「日本短角種」は、東北地方北部で飼われていた南部牛にショートホーン種を交配して改良が進められ、57年に固定されている。
このように明治期に外国種と交配された在来種は、交雑牛、改良和種という過程を経て、日本固有の肉用品種として固定された。代表的な品種は「黒毛和種」で、サシ(脂肪交雑)に優れた肉質で全国で飼養され、今年10月現在で和牛全体の98%を占める。
【写真説明】
11月26日に開催された第68回松阪肉牛共進会。大きな胸囲や肉付きのよい体形、そして「品格のよさ」で優秀賞1席に選ばれた「ゆうこ」=三重県松阪市
兵庫県の小学校で繁殖用雌牛の血統ごとの特徴を審査する=1953年、兵庫県立農林水産技術総合センター北部農業技術センター提供
牛の博物館にある牛肉の格付け基準。肉質はサシの具合や肉の色つやなどで1~5ランクに分かれる=岩手県奥州市
但馬牛の名声を高めた「田尻」号=香美町小代観光協会提供
《朝日新聞社asahi.com 2017年12月20日より抜粋》