(ひらけ!進路・新路・針路)共存へ、動物の生態追う カラスの能力、解き明かせ
2017年01月15日
■きょうの授業 共存へ、動物の生態追う
ときには神の使い、またあるときは悪魔の使い。そんな伝承が世界中にあるほど、人間の暮らしと関わり合ってきたカラス。昨今はもっぱら害鳥扱いで「悪魔」ぶりが強調されている。その脳機能や生態などを調べ、カラスと人の共存を探る研究室が宇都宮大学にある。
■人の顔も見分けられる?
その事件は、栃木県真岡市にある宇都宮大農学部の付属農場で起こった。20年近く前のある日、実験用に農場で平飼いしていたニワトリが襲われた。狙われたのは、成鳥になる目前のひなたち。被害は毎日のように続いた。
農学部の杉田昭栄教授(64)は岩手県の酪農家育ち。「イタチの仕業に違いない」と考え、学生が泊まり込んで警戒した。ところが明け方になって現れたのはカラスの群れだった。
杉田教授の専門は比較神経解剖学。鳥類の目の良さを調べ、卵の生産量を増やす照明コントロール技術などを研究しようとニワトリを飼っていたが、その「事件」以降、カラスに関心が移った。「カラス博士」の異名の原点だ。
杉田教授の動物機能形態学研究室はまず、カラスの脳を調べた。その重さはハシブトガラスで10グラム前後、やや小ぶりなハシボソガラスで9グラム弱。6グラム程度のアヒルやカモ、3グラム超のニワトリ、2グラムのハトなどとは明らかに重さも大きさも違う。神経細胞の密度も群を抜いていた。「いろいろな動物の脳を見てきたが、大脳の発達が目を引いた」と杉田教授。脳が体全体に占める脳化指数の平均値は0・16で、0・14のイヌや0・12のネコよりも高かった。
自治体の有害鳥獣駆除で死んだカラスを集め、脳や神経を調べ続けたが、生きたカラスの機能や行動も研究するようになった。
複数の容器に別々の学生らの顔写真を貼った紙をかぶせ、特定の顔写真の紙を破るとえさが取れるようにした。すると、2日程度でえさの入った容器を識別できるようになった。数を増やしても顔の角度を変えた写真を貼っても間違わなかった。
さらに同種の他の個体や、男女の顔、動植物の種別も見分けられるか実験を重ねたところ、色や輪郭で総合的に判断できることもわかった。空揚げなどの食品サンプルと本物を並べても、本物を選ぶ。一度覚えると、1年後に同じ実験をしても正解を選んだ。目の構造を調べると、人間より光の波長を感じる能力が高く、人間には見えない紫外線も感じていた。味覚もあり、苦みや酸味を嫌うこともわかった。
その一方で、嗅覚(きゅうかく)は鈍かった。ニワトリの4分の1程度の細さの嗅神経で、匂いで行動を誘発する実験でも反応はいまひとつだった。
カラス360羽にGPSの記録装置を取り付けて、4年間にわたって飛ぶ能力も調べた。190羽を再び捕まえて移動の様子を調べると、厳冬期の中央アルプスを越えたり、栃木県や茨城県、千葉県を広範囲に移動したりする個体もいたが、大半の個体は1日に5キロ程度の移動にとどまった。エサを求めて畜舎を渡り歩く様子も確認され、杉田教授は「家畜の伝染病拡散防止のヒントになる」と考えている。
カラスの脳をスライスしてプレパラートに張る作業を続けていた農学部4年の丹野淳子さん(22)は「知らなかったことを知ることが楽しくて仕方ない」。大学院修士1年の林美紗さん(23)は野生動物の行動に興味があって研究を始めたが、解剖して脳や筋肉の働きを顕微鏡などで調べることに熱中しているという。「想定外のことに出会った時の驚きが、やりがいになります」
■狙われにくいゴミ袋開発
カラスはその能力の高さで環境に順応してきたが、主に都市部では人間とのあつれきも生じた。
ゴミ集積所が荒らされたり、繁殖期に巣の近くで人が襲われたりする被害が相次ぎ、東京都は2001年度末からカラス対策を展開。明治神宮などの大規模なねぐらに捕獲用のわなを仕掛け、繁華街のゴミ収集を早朝に実施するなどし、対策前には3万6400羽いたカラスが15年度には1万1900羽まで減った。年4千件近かった相談や苦情は200件程度になった。ただ、全国的にみると、いまもカラスとの知恵比べが続く地域は少なくない。
動物機能形態学研究室は、産学協同による特殊ゴミ袋も開発した。紫外線を遮断すると色覚がおかしくなる特性を利用し、紫外線を吸収する素材を使ってゴミ袋を作った。人間には半透明で中身が見えるが、カラスには袋の中身の識別ができなくなるという。東京都杉並区が05年に実証実験で通常のゴミ袋と比較したところ、カラスにつつかれるなどの被害を受けたのは9割が通常のゴミ袋だった。
特殊ゴミ袋は盛岡市や富山市、大分県臼杵市など各地に広がった。だが、普及したとまでは言えない。通常のゴミ袋の2倍程度の価格のため、「高くて売れない」(杉田教授)という。
声紋分析をしてカラスの嫌う声を出す機器も開発するなど、酉(とり)年の今年も、鳥ならぬ烏(からす)との駆け引きは続く。(菅野雄介)
■<ここが大事>思考に壁作らず、テーマ広げよう 宇都宮大農学部・杉田昭栄教授
農学は植物や動物を大事に育て、よりよく「いただく」ための生活科学です。付き合いも広く、物の見方の狭い人には向きません。
何かおもしろいテーマに出会ったら、違う分野に広げてもいい。私も宇都宮大の畜産学科で学んでいた時、解剖実習で牛の脳を触ってみて脳の不思議さに魅せられ、千葉大の大学院で脳神経科学を学んだ。動物の脳神経を研究する解剖学から、カラスの脳機能などを調べているうちに行動学や生態学にテーマが広がっていきました。そうしないと、生き物の正体を知り得ないからです。好奇心や根気、思考に壁を作らない柔軟性のある学生と研究したいですね。
【写真説明】
(上)大小様々な研究機器が並ぶ動物機能形態学研究室。手前左は杉田昭栄教授
(下)(左)飼育中のハシブトガラス
(下)(右)顕微鏡で観察するため、厚さ0.05ミリにスライスしたカラスの脳=いずれも宇都宮大町
《朝日新聞社asahi.com 2017年01月15日より抜粋》