BSE騒ぎはどこへ?
2004年03月08日
高成田 享 タカナリタ・トオル 経済部記者、ワシントン特派員、アメリカ総局長などを経て、論説委員。
この1週間、オーストラリアの農業を取材する旅を続けている。夕食になると、牛肉を食べる機会も多い。ボリュームたっぷりの牛肉を味わっていると、BSEに揺れる日本の牛肉事情にも思いが及ぶ。
思い返してみると、日本でBSEが見つかったときの対応は、まさに「BSE騒ぎ」だった。消費者は輸入肉も含めて牛肉から遠ざかり、焼き肉店は閑古鳥の状態だった。
たしかに、「狂牛病」というおどろおどろしい名前の病気にかかった牛が立っていることができず、崩れ落ちる映像はショッキングで、BSEの牛の一部に含まれる「プリオン」を摂取すると、人間も同じような症状の病気にかかる恐れがあると聞いて、震え上がった人が多かったのも理解できた。しかし、その一方で、欧州での感染者の数と全体の人口を考えれば、感染の危険は低く、過剰反応ではないかという気がした。
BSE騒ぎは、消費者の牛肉離れにとどまらず、売れ残った牛肉を政府が買い上げる過程で、買い上げの対象にならない輸入肉などを拠出した企業の不正が次々に出てきて、こんどはBSE不正買い上げ事件が起きた。
政府は、「全頭検査」という仕組みを作ることで、消費者の牛肉や牛肉業界に対する信頼を取り戻すことになり、少なくとも、牛肉離れの現象に対しては、それなりの効果をあげた。これでBSE騒ぎはおさまったかと思っていたら、今年になって、日本の牛肉の3分の1を供給してきた米国でBSEが見つかり、日本は米国からの牛肉の輸入を禁止した。
消費者の買い控えが広がることはなかったが、今度は「牛丼騒ぎ」が起きた。米国の牛肉を使っていた牛丼メーカーが、牛丼の販売を断念する過程で、吉野家などの牛丼店が「食べ納め」の客でにぎわったのだ。
米国で見つかったBSEは1頭だけだが、エサの肉骨粉が原因だとすれば、常識的には、その数十倍のBSE牛がいてもおかしくはない。可能性としては、前回の日本牛によるBSE騒ぎの時と同じように、米国牛の牛丼にも危険性を意識してもいいはずだ。ところが今回は、牛丼店が閑古鳥になるどころか、行列のできる状態になった。
前回との違いは、消費者がBSEの危険について、理解を深めたということだろう。脳とか骨の髄液とか特殊な部位を食べなければ、まず大丈夫だということ、また、人間に発生するのはごくまれだということ、などだ。しかし、前回のときも、同じ議論はすでになされていたわけで、前回との違いは、メディアなどが作り出す「空気」の違いではないかと思う。
前回のときは、BSEが起きているなかで、牛肉を食べることは「罪」というような「空気」が漂っていたのに対して、今回は、希少価値となった牛丼を食べることが流行のような「空気」が流れたように見える。
私は、牛丼がおいしいともまずいとも思わないが、牛丼メーカーが脂身が多く、値段も安い牛肉を使って、「おいしい」と思う人がたくさん出てくるような商品を作り上げたことは称賛に値すると思う。
しかし、豪州の牧場を見ていると、あらためて、牛肉の質とは何かを考えてしまう。ここでは、草を食べさせる放牧が基本で、牛舎に牛を押し込め、穀物を食べさせて脂身をふやすのは、主に日本向けだという。日本の消費者からみれば、放牧を基本にした牛肉は臭みが残るとか、肉質が固いということになるのだろうが、豪州の生産者からみれば、地鶏を飼っていたら、ブロイラーのほうがおいしいと言われるようなものではないか。
今回のBSE騒ぎで不思議なのは、牛肉の安全性よりも、牛丼のほうが話題になったことだ。前回が安全性に対する過剰反応だったとすれば、今回は過小反応にも思える。牛丼店に列を作るくらいなら、厚生労働省に「米国産牛肉の即時輸入再開」を求めるデモでもしたらいいと思うが、そんな気配もない。霞が関の役人に、輸入再開を急げという消費者の圧力はないのかと尋ねたら、「まったくない」という答えをしたうえ、「吉野家に並ぶ人たちは、選挙にも行かないのでは」という皮肉まで返ってきた。
豪州で、日本向けの牛肉の話を聞いていると、日本の反応の違いが大きく揺れることにとまどいを感じているのがわかる。前回のときは、BSEが起きていない豪州産の牛肉も、消費者の買い控えの対象になり、大きな痛手を受けた。今回は、日本から米国産に代わって、豪州産の輸出を増やしてほしいという代表団が来たが、時間のかかる穀物飼料の牛をふやしたところで、米国産の輸入が再開されるのではという不安がある、という。
「食」について、消費者がしっかりとした考えを持たないと、生産者もいざというときに応えてくれない。そんな気がする。
《朝日新聞社asahi.com 2004年03月08日より引用》