10月11日付 ■《天声人語》
きのう、新潟県の佐渡トキ保護センターで死んだ最後の日本産トキ「キン」を捕獲したのは、宇治金太郎さんだった。宇治さんの名前を取って、キンと命名された。宇治さんには、トキを裏切ってしまったという悔いが後々まで残ったようだ。
キンが人里近くに迷い出てきたのは67年の夏だった。冬近くになって愛鳥家の宇治さんに餌づけが依頼された。早朝、ビニール袋にドジョウを入れて、雪の中、キンを訪れる。座って一匹一匹ドジョウを与えた。夜、ねぐらに帰るまで見守った。
宇治さんが餌場に行くのが遅れると、キンは途中まで迎えに出るほどになった。4カ月以上もそんな生活が続いた。政府の方針で人工飼育に踏み切ることになり、宇治さんに捕獲の指示が出た。「こんなに信頼してくれているのに」と、宇治さんの心は揺れた(佐藤春雄『はばたけ朱鷺』研成社)。
宇治さんは84年に81歳で亡くなった。生前は、年に何度も神社に参って、キンの長寿を祈っていたという。キンは人間でいうと、100歳ほどだったというから、宇治さんの長寿の願いはかなった。子孫を残すことはできなかった。
幕末に日本を訪れた博物学者のシーボルトが、トキ研究にも寄与したことはよく知られる。学名のニッポニア・ニッポンも彼がヨーロッパに送った標本を基にした研究から生まれた。江戸時代には全国各地に生息していたようだ。明治以降、保護の声が上がり始めたときには既に絶滅の危機にあった。
03年10月10日は日本のトキが絶滅した日として記憶にとどめおかれる。
《朝日新聞2003年10月11日より引用》