一からわかるクローン
2001年03月19日
イタリアの医師らが不妊治療としてクローン人間をつくる計画を立てている。不可能と考えられていたほ乳類の体細胞クローンの誕生が報告されたのは1997年。以来、羊や牛などさまざまな動物で実験されているが、いまだ成功率は低く、様々な課題がある。人間に応用するのは危険と専門家は指摘する。一方で、クローン動物に医薬品をつくらせるなどこの技術を医学に応用する研究も進んでいる。(科学部・瀬川茂子)
Q クローン人間の計画って?
A クローン人間をめざした国際会議がローマで開かれた
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この国際会議が開かれたのは九日。主催したのは、米国のパノス・ザボス博士と、イタリアのセベリノ・アンティノリ医師ら。不妊治療に携わったり、生物学を研究したりしている人たちだ。
参加者の多くは世界から詰めかけた報道関係者だった。日本政府は情報収集のために専門家を派遣した。
「男性不妊の人で、自分と遺伝的なつながりのある子どもが欲しい人を対象にする」「一、二年以内に成功させる」――。アンティノリ医師らは記者たちの質問にこう答えた。
この計画が公表されたのは一月。「それ以来、希望者からの問い合わせが殺到している」とも話したという。
カトリックの中心・バチカンは「人間の尊厳を否定するもの」と、クローン人間づくりに反対する意見書を発表ずみで、今回の会議には表だった対応はせず、無視した形だ。
イタリア議会は、クローン人間を禁止する欧州会議の議定書の批准を承認した。現地の報道によると、地元の医師会がアンティノリ医師に説明を求め、場合によっては処分も検討される。
カナダの新興宗教団体も医師団をそろえ、「今年中にクローン赤ちゃんを披露する」と発表している。
Q つくってもいいの?
A 禁止する法律が日本では6月に施行される
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人や動物の卵子から核を除き、体細胞の核を移植してできたものを「クローン胚(はい)」と呼ぶ。
胚はふつう卵子と精子が一緒になってでき、育った個体には両方の遺伝情報が合わさっている。しかし、クローン胚は精子を使わず、卵子からも核を除いているのでこれら生殖細胞から遺伝情報は引き継がない。代わって体細胞の遺伝情報をそのまま受け継ぐ。
法律では、人クローン胚などを子宮に戻すことを禁止。違反者に、十年以下の懲役、または千万円以下の罰金、または両方が科される。
法律で体細胞クローン人間づくりを禁止しているのは、英国、ドイツ、フランスなど。米国は、こうした研究に政府の資金を使うことは禁止しているが、民間の動きを対象にした規制はない。
クローンマウスを研究する米ハワイ大の柳町隆造教授は「体細胞クローン人間が長期的に健康かどうかは不明。つくられても排斥されたり、出生経緯が体細胞クローンとわかったときに自己のアイデンティテイーに悩んだりする可能性も高い。現時点で体細胞クローン人間をつくるべきではない」と話す。
一方、英国で今年、重い病気を研究する目的で胚を使うことを認める法律が成立、人クローン胚の研究が可能になった。培養して胚盤胞(はいばんほう)と呼ばれる段階まで育てると、胚性幹(ES)細胞を作ることができる。
ES細胞は「万能細胞」とも呼ばれ、神経、筋肉など体を構成するあらゆる組織の細胞に分化する能力をもつ。移植が必要な患者の体細胞からクローン胚をつくれば、拒絶反応のない、移植用の組織や細胞ができる可能性がある(図参照)。
ただ、この胚を子宮に戻せばクローン人間につながりかねず、研究を国が審査する厳重な管理体制をとる。
日本ではクローン胚の扱いについて、今後、指針を作ることになっている。
Q すぐにつくれるの?
A 羊や牛などの動物と同じ原理でつくれるが成功率は低い
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最強の兵士のクローンを集めた完ぺきな軍隊……。こんな計画が企てられても、おそらくうまくいかないだろう。体細胞クローンは大人のコピーを即製する技術ではない。クローンは遺伝的に同一の個体のことで、体細胞クローン人間は、年の離れた一卵性双子にあたる。
たとえば二十歳のAさんが体細胞クローンaをつくるとする。人間の場合もクローン動物の作り方(図参照)と同じ方法でできる。「クローン胚」を作り、子宮に移植する。その後の過程は普通の出産と同じだ。クローンaは赤ちゃんとして生まれる。
二十年後、Aさんは四十歳。二十歳に育ったクローンaさんは二十年前のAさんとそっくりかどうか。外見や性格は異なるだろう。遺伝的には同じでも、育った環境や経験が違っているからだ。
ただ、原理的には可能でもいまクローン人間をつくるのは危険すぎると、多くの研究者が指摘する。クローン動物での成功率は低く、その原因も不明だからだ。
農林水産省畜産試験場の居在家義昭・生殖工学研究室長によると、昨年十月までに全国で百九十八頭の体細胞クローン牛が生まれた。
しかし、その成功率は一-二%にすぎなかった。クローン胚の培養の成功率三〇-四〇%。子宮に戻しても分べんに至る率がその一〇%。しかも死産が五〇%。最初から最後まで高い壁が立ちはだかっている。
おおまかに人にあてはめると、百人の卵子を使って代理母三十人に移植するか、女性一人が三十回試みてクローン人間一人が誕生する見当だ。
体細胞クローン牛の流産や死産の理由は、内臓の奇形、肺の発育不全、免疫系の異常とさまざまだった。
正常に生まれた場合は順調に成長し、生殖能力もあった。クローン牛を妊娠した牛の多くも異常はない。
クローンマウスの研究を進める東京農大の河野友宏教授は「正常に生まれたクローンマウスは成長、生殖能力、簡単な学習記憶テストなどで正常だと確認された。しかし、体細胞クローン人間も正常に発達し、成人になってからもずっと医学的に大丈夫だという保証にはならない」と言う。
なぜ、成功率が低いのか、その理由はわかっていない。
受精卵は分裂を繰り返し、体細胞はそれぞれ特定の役割を果たすようになっていく。体細胞クローン技術は、これを「リセット」し、体細胞の核から体のあらゆる細胞を作りだす受精卵の核と同じ能力を引き出すものだ。
「自然の受精から誕生と違う道筋で、相当な無理をして作る。非常に古くなった車を無理やり走らせてエンストするようなものではないか」と国立感染症研究所の小倉淳郎・実験動物開発室長は話す。
Q 技術は何に使えるの?
A 絶滅危ぐ種の保護、医薬品開発が目標にされている
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米バイオ企業のアドバンスト・セル・テクノロジーは一月、クローン技術を使って、絶滅の危機にひんする野生牛ガウルを誕生させることに成功したと発表した。
凍結されていた体細胞から核を取り出し、普通の牛の未受精卵に移植して代理母に生ませたのだ。絶滅したスペインの野生ヤギや、中国のパンダをクマに生ませることも検討しているという。
日本でも、近畿大の入谷明教授らのグループが動物の保護のためにクローン技術の使用を検討している。
死後すぐに精巣や卵巣を周辺組織も含めて冷凍保存すると、精子や卵子を使って人工授精や体外受精などの試みができるほか、生殖細胞がなくても体細胞でクローンづくりに挑むことができる。
クローン技術が可能になった当初は、肉質のいい牛などを多数作るために有用な技術になると期待された。現在の低い成功率では、採算が合わないとされるが、非常に高価な家畜の生産などに応用の可能性がある。
バイオ企業が注目するのは医療への応用だ。
九七年にクローン羊ドリーの成功を発表した英ロスリン研究所は、ヒトの血液凝固第九因子の遺伝子を組み込ませた体細胞からクローン羊をつくった。羊のミルクや血液から薬を取り出す「動物工場」をねらったものだ。
キリンビールも、米バイオ企業と共同でヒトの抗体を作る遺伝子を組み込んだクローン牛づくりをめざしている。
クローン動物から移植用の臓器を作る研究もある。たとえば、ブタの臓器のサイズは人間に近い。拒絶反応が起こらないように遺伝子組み換えをしたクローン豚ができると、異種移植が可能になるとされる。
もっとも、動物のウイルスの感染などの問題を克服する必要があるのはもちろんだ。
【写真説明】
報道陣に囲まれるアンティノリ医師(中央)とザボス博士(右後方)=9日、ローマで(ロイター)
《朝日新聞 2001年03月19日より引用》