20000707

“絶頂”から“ならく”へ(墜ちた雪印 1万人食中毒:上)
墜(お)ちた雪印 1万人食中毒


2000年07月07日

北海道の表玄関、新千歳空港から札幌行きの電車に乗り換えて約五分、開ける視界の手前に青と白に塗り分けられた巨大な看板が飛び込む。

「ようこそ雪印のふるさとへ」

雪印の登記上の本店は札幌市東区にある。創業は一九二五年。関東大震災(二三年)直後の経済不況のさなか、苦境に立たされた北海道の酪農民が販売組合をつくり、従業員数人で始めた。株主総会はいまも、この「ふるさと」で開かれる。今年はJR札幌駅にほど近い市民会館で、六月二十八日午前中にあった。

石川哲郎社長(六六)が読み上げた業績は順調そのものだった。売り上げの約五割を占める牛乳に加え、乳製品や健康食品、冷凍食品などへの多角化が功を奏し、今年三月期は連結ベースで二年連続の増収増益。「お客様の満足を得られる品質保証と環境保全へ取り組みます」との決意表明には力がこもっていた。

社長として二期四年目。財務部長など管理畑が長く、「派手さはなく、冒険をしない手堅いタイプ」(農水省筋)と評価されてきた。その手法は徹底したリストラに象徴される。九八年から三カ年の中期経営計画を策定。釧路、北見など六工場を閉鎖する一方で、京都府八木町に年間生産能力二十万キロリットルの新工場を稼働させた。  今年三月、業界三団体が一つになって発足した日本乳業協会の初代会長となり、「業界の顔」でもあった。総会後、道知事らへの恒例の「表敬訪問」に向かった。「総会の緊張が解けたせいでしょうか、終始にこやかでした」と同席者が語る。得意の絶頂だったが、すでに危機は足元に迫っていた。

株主総会の直後、相馬弘専務(六一)は、西日本支社から食中毒症状を訴える苦情報告を受けたが、「まだ二件だ」と、すぐには動かなかった。すでに和歌山県の被害者宅を雪印社員が訪問していた。三人の子どもが激しくおう吐し、病院で点滴を受けた。父親に社員はその場で飲み残しを一口飲んでみせ、「大丈夫です」と言って帰った。石川社長が事態を初めて知ったのは二十九日朝。自主回収を始めた約十五分後のことだった。

石川社長は今月一日、西日本支社で最初の「おわび」会見を済ませたあと、周辺に「これだけの重大なことを起こした責任を考えると、やはりこの(大阪)工場があっていいものかどうか」と漏らした。

自らの進退より先に頭に浮かんだのは、操業開始から四十四年がたち、老朽化した大阪工場の閉鎖だった。一方、批判され続けた対応の遅れを自覚したのは四日午後、二度目の会見のため大阪へ向かう新幹線で、車内の電光掲示板に流れるニュースを見たときだった。「事実関係の発表の対応が非常に遅れているというニュースを見て、『ああ、やっぱり皆さんそう思われている』と感じた」と同日夜の会見で自ら明かした。

株主総会前日の六月二十七日、今年最高値と並ぶ六一九円だった雪印の株価は六日、売り注文が殺到し、一時三九六円まで落ち込み、今年の最安値を更新した。十日間で四割近い下落率に、市場には危機説も飛び交う。

本店の隣にある雪印の史料館にはこの日も、観光客の姿が絶えなかった。

創業の中心メンバーの一人、黒沢酉蔵(とりぞう)は、栃木県・足尾銅山の鉱毒被害者の救済に田中正造とともに没頭し、入獄を繰り返した経歴を持っている。「健全なる精神、強じんなる身体を作るため、最も身近な実践は最高の栄養食品である牛乳、乳製品の豊富低廉なる生産ではあるまいか」という黒沢の言葉は社の理念でもある。「いまの経営陣は、雪のマークの上にあぐらをかいていた。先輩方が泣いているよ」。史料館近くで男性社員が吐き捨てた。

◇「危機管理の徹底欠けた」 石川社長会見

石川哲郎・雪印乳業社長の記者会見の主な一問一答は次の通り。

――辞任の決意はいつか
「気持ちはかなり前からあった。正式には今日の午後三時から四時。これ以上の混乱は避けなければならず、最高責任者の私が辞任するのが妥当だ」

――九月末に辞任する根拠は
「新しい体制を作る時間と、二カ月の間に外部の人に意見を聞きたいと思っているため」

――大阪工場の閉鎖はあるか
「個人的な意見では、HACCP(総合衛生管理製造過程)の承認は取り消される。そういう工場の商品を提供すべきでない」

――危機管理については
「マニュアルがあるが、マニュアルや規定集を作るだけで危機管理はできない。現場に徹底させることが欠けていた」

――直前にあった参天製薬の自主回収に比べ対応が遅かったのではないか
「そういう点は否めない。商品の流通や特性の違いがあり、言い訳にはしたくないが対応が違った」

――食品だから真っ先に回収すべきではないか
「そのへんのところは、いま反省しているところです」

○「牛乳抜き」に学校戸惑う

雪印乳業日野工場(東京都日野市)が出荷している牛乳について東京都教育庁が六日、学校給食での使用中止を指示した。教育現場には「牛乳抜きの給食」に戸惑いが広がった。

東京都町田市の同市立第一小学校ではこの日、給食の一時間ほど前に、使用中止の連絡が入った。教師らは急きょ職員室に集まり、週内は子どもたちに水筒を持参させることにした。すでに牛乳びん約六百本が保冷庫に納まっていたが、ケースごと校舎の外に運びだされた。

三つの給食センターで小中学校三十一校、約一万千人分の給食を調理している多摩市では、七日から紙パック入りのウーロン茶を出すことを決めた。だが、こうした代替品の確保は容易ではない。

都教育庁によると、都内の学校給食の牛乳は、二百CC入り一びんが三十七円四十一銭。都と乳業メーカーとの協定で、市価の三分の一程度の割安価格に抑えられている。

畜産振興の一環で農水省の補助金が絡むため、取引先のメーカーや工場をすぐに切り替えることは難しい。町田市内の小学校の栄養士は「栄養を考えれば牛乳を復活させたいが、他社製品だと市価で仕入れることになり、予算が足りない」と頭を抱える。

【写真説明】

返品された乳製品を整理する従業員ら=6日午後、大阪市都島区の雪印乳業大阪工場で

 

《朝日新聞 2000年07月07日より引用》

 

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