広まる胚盤胞移植 受精卵を着床直前まで体外培養
1999年08月04日
卵管や子宮の働きの一部を人の手で代行して、受精卵を体外で着床直前まで育てる新しいタイプの体外受精が広まってきた。世界初の体外受精児が英国で生まれてから二十一年。不妊に悩む夫婦にとっては日常医療に近づきつつあるが、妊娠率はなお平均三割にも満たない。培養技術で、その壁の突破をめざす試みだ。(田村建二)
この手法は「胚盤胞(はいばんほう)移植」と呼ばれる。受精卵を体外で約五日間培養して、胚盤胞という段階まで育ててから子宮に戻す。
広島HARTクリニック(広島市)はおととし秋から、ふつうの体外受精ではなかなか妊娠しなかった患者にこれを試み、約三十人の赤ちゃんが生まれた。「ふつうの体外受精では着床しなかった人でも、この方法だと三割近くが着床、妊娠できる」と、高橋克彦院長は話す。
七月に熊本市で開かれた日本受精着床学会では、胚盤胞移植の報告が相次いだ。全国で、これを試みる医療施設が増えている。
○7割妊娠の報告も
性生活による妊娠では、卵子と精子はふつう卵管で出あう。受精卵は細胞分裂を続けながら子宮に向かって動き、子宮で胚盤胞になった後、着床する=図。
一方、従来型の体外受精では、受精卵が分裂して四-八細胞の胚になったとき、それを子宮に移植している。受精から二、三日目のころだ。
四-八細胞の胚は、本来ならまだ卵管の中にある。それよりも、着床直前の状態まで育ててから子宮に戻した方が妊娠しやすいはず――というのが胚盤胞移植の考え方だ。
この手法が注目を集める最大の理由は高い妊娠率だ。米コロラド生殖医療センターのデービッド・ガードナー博士は「移植一回当たり約七割の妊娠率が望める」と報告している。医師の一部から「本当に、そこまでいくのか」という驚きの声が上がるほど高い。
一方、従来型の体外受精での妊娠率は、施設によってばらつきはあるものの、日本産科婦人科学会の去年のまとめでは全国平均二三%にとどまる。
○望まぬ多胎は予防
もう一つの長所は、赤ちゃんはほしいが、多胎を望まない夫婦にとって都合がよいということだ。
体外受精では、妊娠率を上げるため、女性の体から複数の卵を採取して受精させ、子宮に戻す。現在、同学会の基準では、三つまで戻せることになっている。三つ全部が着床すれば三つ子になることもある。
胚盤胞の移植の場合も、複数の受精卵を育てるところまでは同じだが、妊娠率が高いので、そんなに多くの胚を子宮に戻さなくてもよいことになる。
国内でも、「子どもはほしいが、三つ子は避けたい」という人に対して、胚盤胞を二つ、子宮に戻す施設がある。
鈴木秋悦・元慶応義塾大学助教授は「最も状態のよい胚盤胞を一つだけ子宮に戻し、高い妊娠率を保てれば理想的」と話す。
この手法が広がる背景には、新しい培養液の登場がある。胚は分裂が進むにつれて、必要とする栄養の成分が変わっていくことがわかり、最近、海外のいくつかのメーカーが、これまでの培養液にアミノ酸などを加えた専用の培養液を開発した。去年から国内でも売り出され、手に入りやすくなった。
○発育止まる場合も
牛では、胚盤胞移植はすでに定着している。農水省畜産試験場の仮屋尭由・繁殖部長は「四-八細胞でも着床する人間の方が、むしろ不思議だ」という。人では、これまでの培養方法で胚盤胞まで育てることは難しかった。
ただ、胚盤胞移植には問題点もある。
いまのところ胚盤胞まで培養できる確率は三-五割ほど。残りは途中で発育が止まってしまう。このことについて「胚盤胞まで育つ胚は、結果的に良い状態の胚だ」として「ふるい分け効果」を前向きにとらえる見方もあるが、培養のしかたに、まだ改善の余地があるのかもしれない。
高い妊娠率を期待して胚盤胞移植を選んだのにすべての胚が途中で死ねば、失望感も大きい。医師は事前にまだ臨床例が少ないこと、すべてが胚盤胞まで育つとは限らない点などを十分に説明する必要がある。
ふつうの体外受精より長く人工の環境にさらすことで、生まれる子に影響は出ないのだろうか。
この点について、東邦大学産婦人科の久保春海教授は「この段階で胚に悪影響があれば、出産の前に自然淘汰(とうた)されることが多いので、ほとんど心配はない」という。一方、臨床応用は認めつつも、影響の有無について「慎重に研究を続けるべきだ」という声も聞かれる。
<体外受精の歴史> 1978年、体外受精による世界初の赤ちゃんが英国で誕生した。84年にオーストラリアで体外受精後に凍結保存した受精卵をもとに赤ちゃんが生まれた。
男性側に問題がある不妊を克服するねらいで、顕微授精の研究も進んでいる。いまその主流は、92年に登場した「ICSI」という方法で、細いガラス管で1個の精子を卵子の細胞質内に直接注入する。
<胚盤胞> 細胞分裂が進み、胎児になる細胞と胎盤になる細胞とに分かれた胚。細胞数は百-二百個ほどになっている。体のどの臓器や組織にも分化できる力をもつ「胚性幹細胞」(ES細胞)も、この段階の胚から得られる。
【写真説明】
(上)胚盤胞。下側の部分が胎児になる
(左)4つの細胞に分裂した胚。ふつうはこの段階か、8細胞のときに子宮に戻す=いずれも広島HARTクリニック提供
《朝日新聞 1999年08月04日より引用》