19990328

放牧で草原を復活する 「地球人の世紀へ」(社説)


1999年03月28日

大草原で牛がゆったりと草をはむ牧歌的な風景は、人々に安らぎを与える。

島根県大田(おおだ)市にある三瓶(さんべ)山。三年前、そのふもとの「西の原」で四半世紀ぶりに牛の放牧が復活した。

江戸時代から放牧されていた三瓶山は、頂上まで芝が一面に広がる草原が特徴だった。牛が嫌って食べないレンゲツツジやオキナグサが咲き乱れる。

美しい景観が評価されて、一九六三年には大山隠岐国立公園に編入された。

ところが高度成長期、農耕用の牛は機械に代わった。肉牛や乳牛は畜舎で飼われるようになって、草原は見向きもされなくなった。スギやカラマツが植林され、三瓶山はただの山になりかけていた。

 

○輸入飼料から脱却

農業基本法で日本の畜産業は、大規模な集約経営をめざした。栄養価の高い配合飼料を輸入し、性能のいい機械を導入した。その結果は「終わりのない競争」だった。畜産農家には疲れだけが残った。

米国などから輸入する穀物飼料のコストが高くつき、価格競争力が向上しない。草食の牛に穀物を食べさせるので、内臓障害をもつ不健康な牛が育つ。畜舎でたくさん飼うので、ふん尿公害が問題になり、その処理に金がかかる。

日本の畜産業は、輸入した飼料を家畜に与えて肉や卵をつくる「飼料加工業」みたいなものになった。国内生産を増やしても、食べさせる飼料を輸入しているから、自給率はぜんぜん上がらない。

畜産の「近代化」は、弊害が大きすぎた。それに代わって見直され始めたのが、昔からの「放牧」である。

たとえば酪農の場合、立派な畜舎と機械で重装備し輸入飼料を与える日本と、粗放的な放牧経営のニュージーランドを比べてみる。一頭当たりの乳量は日本が三倍もあるのに、生乳一キロ当たりの生産コストは四倍もかかる。日本の酪農経営は、飼料と施設にお金をかけすぎなのだ。

放牧地で草を食べさせ、十分運動させると、牛は健康に育つ。一ヘクタール当たり一頭ぐらいの割合で粗放的に飼えば、ふん尿公害も起きない。輸入飼料に頼らないから費用が安く、収益性は高くなる。

 

○牛が生態系を守る

阿蘇のグリーンストック運動、大分県久住町の牧野組合など、草原の復活と維持に手をつけているところは、いずれも高品質の肉牛を生産している地域だ。

肉質は、脂肪のはいった霜降りではなく赤身だが、安全でヘルシーだというので、消費者の評判はいい。

三瓶山で放牧を復活させる話は、畜産の復興をかけた地元の農家から出てきた。自然保護の市民団体や、草原景観で観光客を呼びたい自治体も支援している。

「放牧畜産というなりわいが、草原の自然生態系を復元し維持する」。農水省中国農業試験場の高橋佳孝・主任研究官は、放牧復活の意義をこう語る。

背の高い草を刈り取る「採草」、低い草を牛などに食べさせる「放牧」、木がはえて森林に変わるのを防ぐ「野焼き」が草原を維持してきたのである。

人間の営みがレンゲツツジを守り、草原性のチョウの生息環境をつくっている。人為的な活動が生物の多様性を維持している点では、やはり二次的自然である里山と同じである。

草原の維持でやっかいなのは、火を扱う野焼きである。毎年春に、枯れた草原に火を放って樹木がはえるのを抑え、新しい草の芽吹きを促す。

野焼きの仕事は、これまで畜産農家が担っていた。牛を飼う農家が減ったり、高齢化したりして、危険な作業をする人がいなくなった。どこでも同じ悩みを抱えていて、阿蘇などでは、都会のボランティアに協力してもらっている。

三瓶山の「西の原」では、地元の市民団体「緑と水の連絡会議」が野焼きのボランティアを買って出ている。ことしは、今月二十四日に野焼きをした。

ここの特徴は、延焼を防ぐ「輪地切り」という防火帯づくりに、牛を活用していることだ(イラスト)。

 

○草資源大国なのに

利点の多い放牧畜産を見直す機運が出てきたというのに、肝心の草地の方は少なくなってきている。

現在の牧草地面積は全国で六十五万四千ヘクタール、採草放牧に使っている林野などを合わせても、国土の三%しかない。そのほとんどが北海道で、ほかの地域で有名なのは、阿蘇など限られている。

「瑞穂(みずほ)の国」日本は、放牧に向かないのだろうか。

「日本は草資源大国です」と、今村奈良臣・日本女子大教授はいう。「温暖な気候だから年中、草がはえる」

化学肥料が使われる前の近世日本には、水田面積を上回る草地や原野があった。堆肥(たいひ)づくりや役用牛馬の飼料に、草原が不可欠だったからである。

明治・大正時代は、国土の一一%が草地だったという統計がある。当時は水田面積(九%)より広い草地が全国にあった。

いまは山林や農地になっている昔の草地を、元に戻すことは可能なのだ。

だが、放牧がすたれてしまった地域で復活するには、政策の支援が要る。

牛が放牧されることで環境が維持されるなら、その担い手である牛に「賃金」を払う考え方を取り入れたらどうか。

農山村を維持するために、国が農家に支給する「直接支払い」の対象に加えるのも一案である。採草や放牧、野焼きのための費用の一部を、便益を受ける国民みんなが負担すればいい。

土地利用権の調整も重要だ。かつての草原は、地域共有の入会地だったところが多い。その後、私有地になった土地でも、再び放牧できるように、自治体が調整に乗り出したり、借り上げたりする措置を検討すべきであろう。

放牧は畜産業の振興と自給率の向上になるばかりではない。草原独特の生態系を保ち、美しい景観とおいしい畜産物を売り物にする地域経済の活性化にもなる。

 

《朝日新聞 1999年03月28日より引用》

 

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