(新発想で挑む 地方の現場から)繁殖・肥育・酪農を一貫経営
2016年03月02日
島根県益田市の市街地から車で30分。甲子園球場5個分、20ヘクタールを超える山あいの敷地に、数十棟の牛舎が立つ。最も大きい牛舎は長さ約100メートル。人影まばらな牛舎に、エサを与える機械の音と、黒い牛の鳴き声だけが響く。
国内有数の規模を誇る松永牧場グループ。経営する松永和平さん(61)は、益田市と山口県萩市の計4カ所の牧場で、計1万頭を超える牛を育てている。
肉牛農家は全国に約5万4千戸。うち500頭以上を飼うのは北海道や九州を中心にわずか1%ほどだ。1万頭を超すのは「西日本では異例」(畜産関係者)で、知る人ぞ知る存在だ。
■輸入自由化契機、脱「分業」化図る
規模が大きいだけではない。肉牛の繁殖から肥育まで一貫して手がけ、乳牛を育てる酪農も同時に営む「複合経営」に特長がある。ユニークな経営戦略がいま、注目を集めている。
肉牛と乳牛は、育て方も販路も違う。どちらかの専業が一般的だ。さらに、肉牛農家は母牛から子牛を生ませる繁殖農家と、子牛を大きく育てる肥育農家とに分かれ、分業が多い。松永牧場もかつては、乳牛のホルスタイン種の雄を酪農家から仕入れ、肉牛として育てる肥育農家だった。
松永さんが家業を継いだ1973年当時の規模は200頭足らず。転機は、牛肉の輸入が自由化された91年に訪れた。安価な乳牛の肉は輸入品と競合するため、高値を保てる和牛や、和牛と乳牛の交雑種を中心とする肥育に転換。02年に自ら子牛の繁殖を始め、05年に酪農を組み合わせた複合経営に乗り出した。
■子牛の価格高騰、自前生産で確保
「これからは、子牛を確保できるかどうかで、勝ち組と負け組が出てくる」
松永さんがこう言うのには、理由がある。子牛の価格が高騰しているのだ。
肥育農家が競りで買う子牛の価格は、最近3年間で7割も上がった。高齢化や後継者難で繁殖農家の数が減り、競りに出る子牛が少なくなっているためだ。
肥育農家の生産費の半分を、子牛の仕入れ費用が占めるとされる。コストの上昇分を販売価格に転嫁するのは難しく、肥育農家の経営は苦しくなっている。
一方、松永牧場では乳牛に和牛との交雑種を生ませて、自前で子牛を確保している。受精卵移植で、和牛の子牛も生ませる。子牛を生んだ乳牛の乳は、搾って出荷する。岡山大大学院の横溝功教授(農業経済学)は「肉用子牛の生産に酪農を使うという発想がすごい。子牛を自ら安く調達できるし、生産の履歴も明確になる」と話す。
松永さんはもともと農業が嫌いだった。早朝から深夜まで休日もなく働く父を見て思った。「農家にはなるまい」。高校を出て、大阪で銀行員に。だが、父が交通事故で大けがをしたのを機に跡を継いだ。以来、「前例踏襲」の経営をしないよう心がけてきた。
「規模拡大には、資金繰りが何より大切」。銀行勤めの経験から、投資資金を借りやすくするために家業を法人組織に改めた。
山間地を切り開いては牧場を広げ、大量に出るフンは堆肥(たいひ)にして売った。飼料代を抑えるため、おからなどの食品残渣(ざんさ)をエサに加工する施設もつくった。
■肉の味にも定評、規模拡大計画も
肉質にはかねて定評があり、東京・銀座と大阪・北新地には、松永牧場の名前を冠した焼き肉店がある。昨年10月に東京で開かれた全国の肉用牛の品評会では、出品した肉が28都道県の430頭の中から最高の「名誉賞」に選ばれた。
環太平洋経済連携協定(TPP)が大筋合意に至り、多くの畜産関係者は気をもむが、松永さんは「影響はあまり心配していない。考え方次第で今後も夢と希望を描ける」と話す。国内では健康を意識して肉を食べるお年寄りが増えており、むしろ「追い風が吹いている」と思う。子牛をさらに増やすため、島根県に1500頭規模の乳牛の牧場を新設する予定だ。17年の着工をめざしている。
松永牧場グループでは約60人が働き、若手も多い。千葉の実家が400頭の牛を育てている岩井康介さん(19)もその1人。このままでは家業は苦しくなると感じている。
「ここは牛の管理がしっかりしている。学ぶことがたくさんある」。将来は実家に戻り、家業の経営に生かすつもりだ。
(西江拓矢)
◇
年始に連載した「新発想で挑む」。引き続き地方の現場の動きを取り上げます。随時掲載します。
【図】
松永牧場の経営の工夫/子牛の価格が高騰している/搾乳のため丸いターンテーブルに乗り、回転する乳牛たち=島根県益田市
《朝日新聞社asahi.com 2016年03月02日より抜粋》