クローンをどこまで許すか(社説)
1997年08月19日
「幼くして死んだわが子のクローンをつくってもらえないか」
日本人研究者のもとにも、そんな依頼が舞い込んだという。
遺伝子をそっくり写し取った、文字通り生き写しのクローン羊「ドリー」の誕生は、世界中に衝撃を与えた。続いて、人間の遺伝子を組み込んだクローン羊「ポリー」の誕生も伝えられた。
遺伝子や生殖細胞を操る技術が急速に進展している。生命の誕生という「自然の神秘」に、人間の手が入りつつある。
首相の諮問機関である科学技術会議は、先月末にまとめた「ライフサイエンスに関する研究開発基本計画」の中で、「ヒトのクローン作製は実施しない」「動物のクローン作製や、個体を生み出さないヒト細胞の研究は、情報の公開を進めつつ適宜推進する」と提言した。
クローン人間は、コピー人間とは違う。年齢の違う一卵性双生児といっていい。たとえ顔かたちが似ていても、別の人格、別の人間である。
それでも、クローン人間をつくることが許されないということには、すでに世界的な合意があるといっていいだろう。
道徳的、社会的に容認されないばかりでなく、安全性も確立されていないからだ。
一方で、畜産や科学研究のためにクローン技術の利用価値は大きい、と学界や産業界が期待している。
家畜の世界でクローン技術といえば、卵子の中から遺伝子が入っている核を除き、代わりにほかの細胞の核を入れて、仮親のおなかの中で育てることを指す。
受精直後の分裂し始めた細胞をばらばらにし、その核を移植して人工的に三つ子や四つ子の牛をつくり出す技術が、日本でも実用化されている。
英国のドリーは、受精後まもない細胞ではなく、成熟したおとなの細胞の核移植から生まれた。「ほ乳動物では、分化した細胞の遺伝子には個体形成の能力はない」という生物学の常識が覆された。
なぜこんな研究がなされたのか。「動物製薬工場」をつくるためという。
いまや、家畜に特定の遺伝子を導入して、人間に有用な薬が入ったミルクを出すように改造することもできる。しかし、その成功率は非常に低い。そこで、ようやく得られた、有用家畜を遺伝子を変えずに増やすクローン技術が求められたのである。
食べるために家畜を飼うことが許されるなら、薬を作る家畜をつくり出すことも許されるのかもしれない。
では、ブタにヒトの遺伝子を導入して、人間に移植しても拒絶反応を起こさない臓器をつくる研究はどうだろうか。霊長類の細胞にヒトの遺伝子を導入して、移植用の臓器をつくる研究はどうか。
こうした人間にかかわる研究の是非となると、「クローン人間禁止」という原則だけでは判断できない。
科学技術会議は、橋本首相の指示を受けて、生命倫理の問題を協議する場を秋にも置くことになった。クローンにとどまらず、生命技術と人間のかかわり合いを機動的に考える組織をつくってほしい。
それには、主体的に情報を集め、調査、研究するスタッフが要る。そして情報を公開し、さまざまな立場の人たちから広く意見を集める工夫をこらすべきだ。
生命倫理は研究者だけの問題ではない。遺伝子をいじったり、生殖を操ったりする技術は、私たちすべてにかかわる。広く深い議論が必要なときである。
《朝日新聞 1997/08/19より引用》