19970810

クローン研究は進む 産業利用へ、危うさも抱え(時時刻刻)


1997年08月10日

同じ遺伝子をもつ家畜を受精卵や細胞からつくり出すクローン技術が産業利用へと大きく踏み出し始めた。国内では肉質のよい牛などを大量生産する技術開発が成功した。英国では人間の遺伝子を組み込み、医薬品となるたんぱく質をつくらせるクローン羊「ポリー」も誕生したが、こうした技術には生命操作というきわどい問題がつきまとう。首相の諮問機関である科学技術会議は当面、人への応用を禁止し、クローン技術のあり方を専門の委員会で議論することを決めた。

(科学部・由衛辰寿、小西宏)

東京都世田谷区の東京農業大。六匹のマウスが飼育カゴの中を駆け回っている。分割した受精卵をばらし、中心部にある核を未受精卵に移植、別のマウスの子宮に入れる方法で生まれたクローンマウスだ。この操作が容易な牛では畜産技術として実用化され、国内で二百頭以上のクローン牛が生まれている。

●「霜降り」身近に

これより一歩進んだ技術で誕生したのが、茨城県つくば市にある全国農業協同組合連合会(全農)飼料畜産中央研究所の黒毛和種のクローン牛だ。従来の方法では受精卵がほぼ三十二個に分割した段階で移植するが、これはさらに分割の進んだ卵から胎児になる部分の細胞を取り出して増やし、別の牛のおなかで育てる。優れた遺伝子を持った肉牛を一度に数百頭単位で誕生させることも夢ではないという。霜降り肉が身近になるかもしれない。

同県茎崎町の農水省畜産試験場に最近、遺伝子組み換えの実験施設ができた。遺伝子組み換え技術で乳たんぱく質をつくる能力を高めた牛を、クローン技術で量産する研究をする。「優れた牛を効率よく生産することを目指したい」と今井裕・生殖工学研究室長。

受精卵ではなく体細胞から牛や豚のクローンをつくる研究に、農水省などが所管する団体から今年初めて補助金が出た。英ロスリン研究所が羊の体細胞の核をもとに、世界初のクローン羊「ドリー」を誕生させたのと同じ技術。「初期化」という特殊な操作が必要で、角田幸雄・近畿大農学部教授らが本格的に研究を始める。

八日、米ニューヨーク・タイムズ紙は、米国の牛育種会社ABSグローバル社が、成牛の体細胞を使ってクローン牛をつくるのに成功、間もなく数頭が誕生すると報じた。

同社はホルスタイン牛の乳せんや皮膚、腎臓などの体細胞の核を二段階で処理する工夫をした。ドリーの際に一%以下とされた成功率が上がり、産業利用に弾みがつきそうだ。

●「動物工場」で薬

ポリーをつくった英PPLセラピューティクス社は従来、人間の遺伝子を組み込んだ受精卵から羊をつくってきた。ポリーは人間の遺伝子を組み込んだ羊の胎児の体細胞からつくった。いずれも血友病患者に欠けている血液凝固因子などを含む乳を出す「動物工場」にするのが狙いだ。

米国では、ヤギの乳に含ませた血栓を溶かす成分を治療に使えないか、臨床試験も始まっている。

従来の方法で遺伝子組み換え動物が生まれる率は約一%だが、ポリーのように胎児の体細胞を使えば三―五%に上昇するという。

PPL社がロスリン研究所との共同研究で「工場」を増やそうとするのは当然の成り行きだ。同社は人の遺伝子を持ち、人への臓器提供が目的のクローン豚づくりも進めている。

●法で規制の国も

こうした技術が歯止めなく広がることには懸念が強い。日本でも科学技術会議が七月末に答申したライフサイエンス基本計画で、当面、クローン技術の人への応用を禁止。一方、家畜や絶滅直前の種などのクローン作製は「適宜推進」することにした。

一線の研究者がもっとも心配するのは、不妊治療への利用だ。体外受精させた受精卵が数個に分裂した段階で卵をばらし、それぞれの核を未受精卵に移植して凍結、妊娠が成功するまで繰り返し母体に戻す手法などが考えられる。通常のクローン牛作製と基本的には同じだ。

イギリスやフランス、ドイツは、こうした生殖技術の人への応用を法律で規制している。しかし、日本では産科婦人科学会が運用規則を設けているだけで、規則に強制力や罰則はない。クローンマウスを成功させた河野友宏・東京農大教授は「これでは体外受精のように畜産技術が産婦人科に応用され続けることを防げない」と危惧(きぐ)する。

科学技術会議はこの秋にも、生殖技術全般の倫理、法律の問題を検討する「生命倫理委員会」を設置する。クローン技術の専門家だけでなく、法律家や宗教家も参加する。科学技術庁は「海外を参考に、国内で法規制が必要かどうか慎重に検討していく」考えだ。

【写真説明】

人間の遺伝子を組み込んだクローン羊のポリー=ロイター

 

《朝日新聞 1997/08/10より引用》

 

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