飽食がまねく自給率の低下(社説)
1997年02月13日
日本の食糧自給率が、また下がった。農林水産省の調べによると、一九九五年度は前年度を四ポイント下回り、四二%になった。
この数字は、食べ物をすべてカロリーに換算し、そのうち国内で生産された割合を示したもので、食糧需給の実態を表している。大冷害に見舞われた九三年度の三七%を除けば、過去最低を更新した。
しかし、前年度より四ポイント下がったこと自体は、さほど深刻なことではない。牛肉の輸入増もあるが、この急落は米にかかわる特殊な事情として説明できるからだ。
冷害の翌年である九四年度は、豊作に加えて緊急輸入米の評判が悪く、米の消費が減った。このために、米の自給率は一二〇%に達した。ところが翌九五年度は、減反が強化されて生産量が減った半面、消費が少し回復したこともあって、米の自給率は一〇三%に落ち着いた。
供給カロリーに占める米の割合は、四分の一にもなるので、この間の米の自給率の低下分だけで、全体の食糧自給率を四ポイントも下げてしまったわけだ。
米が大量に余った九四年度の自給率四六%が、名目上「高すぎた」のであって、九五年度の四二%の方が、自給率の実態を示しているといえよう。
自給率は、高いに越したことはない。三十年前には七三%もあった自給率が、年々下がり続けてきた現実は無視できない。
下がった要因をくわしく分析すると、食生活の変化による影響の大きいことが分かる。この三十年間に自給率を三一ポイントも押し下げた要因として、米の消費の減少による寄与度が三一%、畜産物の消費の拡大による飼料穀物の輸入増加が一六%、食用油をつくるための大豆やなたねなどの輸入増加が一六%を占めている。
つまり自給率低下の三分の二が、食糧の消費構造の様変わりによるものなのだ。言葉を換えると、豊かな食生活を追い求める日本人の「飽食」が自給率を下げてきたのである。
従って、自給率の低下は農業生産力の衰退によるものだとして「もっと保護を」という農業団体のいい分には無理がある。農業団体は「自給率を農政の目標に掲げよ」とも主張する。
だが、自給率の目標値を政策に掲げることは非現実的だ。自給率は需給関係の結果であり、力ずくで上げようとすれば、生産や消費をゆがめてしまうからである。
もっとも、力ずくで自給率を上げる方法がないわけではない。たとえば、肉食を人為的に減らすのである。畜産物を中心にした「欧風」の食事より、米や魚の「日本型」食生活の方が健康にいいといわれる。その意味では、日本型食生活の勧めには意義があるかもしれない。しかし、だからといって消費者に米を食え、肉を食うなと、強いるわけにはいかない。
日本が輸入している食糧の相当量を生産しようとしたら、それに必要な農地は千二百万ヘクタールにのぼる。現在の国内農地の二・四倍に当たる。一〇〇%の自給率など、もともと無理な話だ。
だが、いざというときに国民に最低限の食糧を供給できる態勢だけは、備えておきたい。いわゆる潜在生産力である。五五年当時のカロリー程度なら、最大限努力すれば供給できると農水省は試算している。それには優良な農地と、やる気のある担い手の確保が欠かせない。 凶作を想定した備蓄や、安定供給してもらえるような食糧輸出国との関係づくりが大切であることは、言うまでもない。
《朝日新聞 1997/02/13より引用》