受精卵ビジネス大はやりで凡牛受難時代 雄も雌も優秀な血統だけ
1997年01月07日
今年のえとは丑(うし)。しかし、牧場の牛にとっては、受難の時代が到来している。より商品価値の高い牛をつくるために優秀な精子と掛け合わせた受精卵を別の雌の子宮(借り腹)で育てる「受精卵移植」ビジネスが普及しつつあるからだ。人工授精がすでに一般化した雄牛は「エリート」しか生き残っておらず、これからは雌牛もそうなりそう。借り腹で生まれた子牛は慎重な管理が必要で、牛だけではなく、畜産農家もしっかりした経営思想がないと淘汰(とうた)されかねない。
●借り腹の愛
のんびりと干し草をはむ和牛の母子。子をかばうように母が向かってきた。子は母のかげに隠れ、様子をうかがっている。
この母子に血のつながりはない。母の体毛は赤、子牛は黒。赤毛牛の子宮に、別の黒毛牛夫婦の受精卵を移植して生まれたものだ。
鹿児島県大口市にある山口畜産の牧場。優秀な卵を出す牛を三十八頭、借り腹専用の受卵牛を百五十頭かかえ、一九九六年は約四百個の受精卵を販売した。受精卵移植による子牛や妊娠中の牛も売る。
「神さまに挑戦しているようで気がとがめるときもある。しかし、質のいい牛を安く生産するため割り切ってやるしかない」
経営陣の山口幸博さん(三五)はこういう。獣医でもある山口さんは、七年前から新技術に取り組んだ。農家と研究者の中間、いわばベンチャー畜産家だ。
●精子も卵も
排卵誘発剤を使い、優秀な雌に一度にたくさんの排卵をさせ、優秀な雄の精子で人工授精する。この受精卵を複数の借り腹に移植すれば、自然に雌牛が出産するよりはるかに多い子が得られる。雌の血統も自由に選ぶことができる。
受精卵の価格は血統によって一個数百万円から数万円までさまざまだが、いずれも同じ血統の牛を買うよりは、はるかに安くつく。このため、肉を今の六割ほどの価格で供給できるとの試算もある。
●年間1万頭
受精卵移植が普及し始めたのは九二年ごろから。最近は年間一万頭以上、全出産数の数パーセントがこの技術で生まれている。消費者の和牛志向は根強く、生産者側の競争が激しいことが背景にある。
農水省家畜改良センター(福島県西郷村)などでは、受精直後の卵細胞の核を別の卵細胞に移し、同じ遺伝子をもつ卵を無数に作る(クローン牛)研究をしている。優秀な卵はとことん利用され、ふつうの牛は消えていく構図だ。
●ガラス細工
ところが、受精卵移植で生まれた子牛を育てるのは大変。ふつうのホルスタインの二倍の乳が出る「スーパーカウ」は、ガラス細工にたとえられる。体に蓄えるエネルギーの多くを乳に変えるため、自分の体を維持する能力が足りず、病気や環境変化に弱い。
農水省家畜生産課も「中途半端な気持ちの農家にはやってほしくない」という。新しい知識や経営意識などが必要で、畜産農家の選別も目前に迫っている。
【写真説明】 血がつながっていない黒毛和牛の子ども(右)を出産し、保護する赤毛の母牛=鹿児島県大口市の山口畜産で
《朝日新聞 1997/01/07より引用》