ゲノム編集、揺れる科学界 中国、ヒト受精卵の遺伝子改変
2015年04月30日
ヒト受精卵を遺伝子操作したとする中国チームの論文に、科学界が揺れている。狙った通りに遺伝子を改変できる新技術「ゲノム編集」を使った基礎研究。安全性や倫理面の議論が不十分と批判する声が多いが、将来どうすべきかの意見は割れている。技術の進歩が速すぎて、「何がいけなくて、何がよいのか」の議論が追いついていない。
■議論途上、安易な応用懸念
ヒト受精卵の遺伝子改変を報告した中国・中山大チームの論文は、科学界が懸念を表明する中で発表された。
3月ごろから、世界中で研究者のうわさになっていた。米科学誌サイエンスは「ヒトの受精卵を編集するな」と題するニュース記事を出し、国際幹細胞学会も「安全性や倫理的、社会的な問題について広く議論されるまで、当面、臨床目的でヒト受精卵を改変しないように」と呼びかけた。
4月18日付で中国の科学誌に掲載された論文は、ゲノム編集で血液の病気に関係する遺伝子の操作を試みた、とする内容。不妊治療中の夫婦から提供されたヒト受精卵86個のうち、最終的に狙い通りに遺伝子が入ったのは4個だけで、予期しない所が改変された例も多く見つかった。
ヒト受精卵にもゲノム編集が使えるか試すのが目的で、もっと技術を改良しないと臨床応用には使えないと結論づけた。それでも、これほど騒ぎになったのは、長年科学界が守ってきた研究倫理が脅かされているからだ。
ヒトの遺伝子を操作することの是非は、初の遺伝子治療が行われた1980年ごろからNIH(米国立保健研究所)などが倫理や安全性の面で議論を積み上げてきた。他に治療法のない病気を治す目的に限って認められるが、受精卵を含む生殖細胞は「影響が次世代へ引き継がれ、未知の健康被害が出るおそれがある」などとの理由で対象外とするのが基本的な考え方。日本を含む主な国の指針にも反映されている。
一方、ゲノム編集は当時存在していなかった新技術で、指針では想定されていない。ここ数年で手軽さと効率が飛躍的に向上し、急速に普及。世界中の研究室で実験用の遺伝子改変マウスづくりなどに使われているほか、畜産や農業分野でも応用研究が進む。
遺伝子治療をめざした研究もある。根本的な治療法が確立していないミトコンドリア病という遺伝性疾患の患者の体細胞を使った実験や、マウスの受精卵を操作して生まれた子の筋ジストロフィーの症状を改善した報告などが相次いでいる。
ゲノム編集は扱いやすい技術だけに、臨床応用に踏み切ってしまう医師が出てくるおそれがある、とも指摘されている。
ゲノム編集を使った遺伝子治療を研究する京都大の堀田秋津特定拠点助教(遺伝子工学)は「どこまでリスクを減らせば治療に使っていいか、社会だけでなく、研究者の間でもまだコンセンサスがない。今回の論文が安易な臨床応用を促さないか心配だ」という。
■条件付き容認論も
ヒト受精卵の遺伝子操作には「親が希望する外見や能力を持ったデザイナーベビーの誕生につながる」との懸念もある。また、「生命の萌芽(ほうが)」に操作を加えること自体への異議もある。
ただ、ゲノム編集の技術が向上すれば、従来の遺伝子治療で治せなかった遺伝性疾患を防ぐため、受精卵の段階で遺伝子を修復する新しい治療が可能になるかもしれない。
東京医科歯科大の田中光一教授(分子神経科学)は「規制は当然必要だが、個人的には、対象とする病気が明確で社会の合意が得られれば認めてもよいと思う。賛成、反対という2択ではなく、メリット、デメリットをケース・バイ・ケースで冷静に判断すべきだ」と話す。
東京大の神里彩子特任准教授(生命倫理政策)は「遺伝子治療の議論がなされてから30年以上。科学も進んでいる。次世代に影響を残すだけに慎重であるべきだが、もう一度問題点を洗い出したうえで、何をどこまで認めるべきか議論し直す時期に来ているのではないか」と指摘している。
(竹石涼子、合田禄)
◆キーワード
<ゲノム編集> 狙った遺伝子を壊したり置き換えたりする技術。90年代に人工の酵素を使った方法が登場し、現在はCRISPR/Cas9(クリスパー・キャス9)など新しい方法が普及している。ウイルスなどを運び屋に使う従来の技術では、遺伝子を追加できても壊すことはできず、どこに組み込まれるかもわからなかった。
【図】
ゲノム編集と従来の遺伝子治療
《朝日新聞社asahi.com 2015年04月30日より抜粋》