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(被災地から)かじられた牛舎の柱 東日本大震災


2012年10月01日

 「これを見てほしい」

福島県南相馬市小高区の酪農家、半杭一成(はんぐいいっせい)さん(62)に連れていかれたのは、牛舎の中だ。25センチ角の柱が、床から1メートルの辺りで細くなっている。

「柱のそばに、牛が倒れていた。餌がなくなってかじったんでしょうね」

小高区は東京電力福島第一原発から20キロ圏内。警戒区域になり、立ち入りが禁じられた。取り残された家畜は逃げ出したり、放されたり。こうした「放れ牛」を集めて飼育している半杭さんの牧場を訪ね、取材した最後にこの柱を見た。

原発事故で、乳牛40頭を残して離れざるを得なかった。2カ月後に入った牛舎は無残だった。白骨化していたり、ウジが覆っていたり、34頭が餓死していた。残る6頭は姿がなかった。代わりに、見慣れぬ和牛が10頭ほどいた。放れ牛だ。

放れ牛は民家を荒らす。半杭さんは市の対策に協力し、昨年9月から区内の牧場で放れ牛の捕獲、飼育に取り組んできた。ここでの畜産再開につなげようと、東北大学などがその牛を使い、放射線の影響を調べている。

今年4月、小高区の警戒区域は見直され、大半で立ち入りが自由になった。ただ、宿泊はできず、除染は進まない。「畜産農家はみな、牛を置き去りにし、餓死させてしまったという思いがある。再開したらまず、碑を建てたい」

山のふもとにある牛舎を辞し、小高区中心街へ。警戒区域の見直しからまもなく半年。立ち入り制限の解除直後は自宅の様子を見にくる住民の姿を見かけた。いまはその気配すら、ほとんどなくなった。

 

《朝日新聞社asahi.com 2012年10月01日より引用》

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