(核燃半島 第2部 福島からの警鐘:1)東通で事故なら津軽に拡散の可能性/青森県
2011年12月11日
「原発事故の影響? 考えたこともねえな」。6日、東通村の東通原発から約70キロ離れた津軽半島の蓬田村。陸奥湾と下北半島を望む畑で雪囲いの準備をしていた男性(58)が言った。
東通原発から漏れた放射性物質は、ほとんど拡散しないまま陸奥湾を進み、8時間後には蓬田村に到達する――。
鳥取大大学院の栗政明弘准教授(遺伝子医療学)が気象模擬実験ソフトを使い、「夏場に平均的な風速3メートルの東風」(青森地方気象台)の条件で作った動画には、これまで示されなかった拡散予測が映っていた。下北半島から吹く東風「やませ」は、気象台によると6~9月に蓬田村が通り道になる。
放射性物質は15時間後には津軽半島や青森市を覆う。栗政准教授は「この時、雨が降り、放射性物質が落ちた場所が深刻な汚染地帯になる」と警告する。気象台は「やませは津軽半島の山地にぶつかると霧を発生させ、蓬田村、外ケ浜町、今別町周辺でよく雨になる」という。
●距離が遠くても
風と雨――福島第一原発の事故時、不運な条件が一致したのが福島県飯舘村だった。原発から30キロ以上も離れているが、チェルノブイリ事故の強制移住レベルに相当する放射能汚染地帯となった。6千人の村民のほとんどが今も避難している。
「原発のことなんて、考えたこともなかった」。ブランド牛の「飯舘牛」を飼っていた高野きよのさん(55)は11月下旬、避難先の相馬市の仮設住宅でうなだれた。
牛35頭は二束三文の値段で手放し、仕事も失った。今は、泥棒対策の一員として、2日に1回、避難先の相馬市から20キロ離れた村内をパトロールする。物音一つしない牛舎、雑草が生い茂っていく田畑……。「何もできずに村が寂れていくのを見守るしかできない。原発は罪だよ」
飯舘村に原発関連の交付金はほとんど入っていない。福島市に避難中の農家、安斎徹さん(60)は「地道に村づくりをしてきたのに、長年かけて育ててきた村の農業も畜産も全部吹っ飛んだ」と憤った。
●「助成を」の思惑
青森県は毎年、東通原発の事故を想定した避難訓練を実施してきたが、放射性物質の拡散範囲は東通村に限ってきた。国が113億円かけた緊急時迅速放射能影響予測(SPEEDI)を使った拡散予想図でも放射性物質の拡散は東通村内に限られるため、「南北方向の風に限定していた」(県担当者)という。
SPEEDIで、東通から津軽半島に放射性物質が広がる予測図が出されたことはなく、蓬田、外ケ浜、今別の3町村で原発事故を想定した防災訓練が開かれたことはない。
7期務める坂本豊・蓬田村議(60)=共産党=は、一貫して原発建設や核燃料サイクル事業に反対してきた。1980年代後半、蓬田村でも農家を中心に原発反対運動が広がったことがあるが、やがて消えたという。4月の村議選で脱原発を訴えたが、手応えはなかった。「結局、他人事(ひとごと)なんだべな。第2の飯舘村になってから気づいたって遅いんだ」
原発事故後、津軽地方の市町村長の間にも、東通原発からの風向きを気にする発言が出始めたが、思惑つきだ。外ケ浜町の森内勇町長は「他人事じゃない」としつつ、「立地地域と同じくらい被害を受ける可能性がある以上、助成も同等でないといけない」と話した。
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原発の建設や再稼働を求める声が早くも出始めた青森に、福島からの警鐘は届くのか。(この連載は藤原慎一が担当します)
【写真説明】
放射線量の測定が進む飯舘村。耕す人もなく、畑はすでに荒れ果てていた=11月30日、福島県飯舘村
《朝日新聞社asahi.com 2011年12月11日より引用》